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2016年07月02日12:55

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2016年6/28夜〜7/1朝・南蔵王縦走

蔵王連峰を訪れた。蔵王連峰は山形と宮城県にまたがる、東北の名山である。蔵王山は連峰の総称であって、蔵王山という山はない。南北30キロに連なる連峰は北蔵王・中央蔵王・南蔵王に三分される。北蔵王は雁戸山△1484.6mに代表され、中央蔵王は地蔵山・熊野岳・刈田岳など核心部の山を指し、南蔵王には屏風岳・不忘山が含まれる。
最高峰は熊野岳△1841mで、東側には爆裂火口湖の御釜が火山湖特有の色をたたえている。
かつては女人禁制の修験の山としても知られ、「西のおやま」と呼ばれた出羽三山に対して
「東のおやま」と称し、信仰を集めた。

蔵王の名は熊野岳や刈田岳山頂に祀られる蔵王権現に由来するといわれ、「わすれずの山」と枕草子に登場し、この連峰は「わすれずの山」の名で親しまれていた。
ちなみに現在の不忘山は、かつては南森・御前山と呼ばれていたという。
6/29朝7:30、貸切バスで東京駅前を出発。東北道・白石インターから蔵王エコーラインを通り刈田峠には12:10。ここから歩いて刈田岳△1758mを往復してくる。途中、御釜が望まれた。
熊野岳に行く馬ノ背コースには立入規制がかかっていて、先に進めなかった。(7/1より規制
が解除されたようだ)。御田神湿原を散策することにした。
ハクサンチドリ・マルバシモツケ・イワゼキショウ・サラサドウダン・ウラジロヨウラク・
ワタスゲ・ヒナザクラ・ミネヤナギ・アカモノ・ノビネチドリ。チングルマは花が終わっていた。泊まりは坊平高原にあるロッジで、コンドミニアム形式の宿だった。

6/30,宿の車で刈田峠まで行き、ここから南蔵王縦走路に入る。7:40。小雨が降ったり止んだりの天気でした。大きな看板があり、硯石まで11.5キロの道のりだ。
地元のガイドは女性の林千明さん。高山植物に詳しい方でした。一等三角点のある、屏風岳△1817mをめざす。屏風岳は南蔵王の中核をなす山で、その東面の急峻な火口壁が仙台方面からよく見え、その山容が山名の由来になっている。又、北側鞍部の芝草平は高層湿原の広大な、お花畑で花の多い南蔵王の中でも白眉といえる。
避難小屋のある旧刈田峠には8:00。三等三角点のある杉ヶ峰△1745.3mには9:10。
芝草平は花が多く、目を楽しませてくれた。特にトキソウは美しい。(その淡紅色が朱鷺の羽色にたとえられて、ラン科の高山植物だ。)ゴゼンタチバナ・キンコウカ・ハクサンイチゲ・ハクサンシャクナゲ・ナナカマド・ミネウスユキソウ・タカネバラに出会えた。
屏風岳には11:30。広い山頂である。ここから道は二手に分かれる。
水引入道△1656mから白石スキー場に降りるコースと南屏風岳△1810mから不忘山△1705.3mを
登り白石スキー場に降りるコースだ。不忘山ルートをとる。

不忘山には12:30着いた。晴れていれば展望がいいのだが残念だ。少し降りた所に「不忘の碑」の慰霊碑があった。碑文には「1945年3月10日太平洋戦争で、日本に襲来したアメリカ空軍B
29が3機この山中に墜落し、その乗務員34名全員が死亡しました。ひどい吹雪の夜のことで
ありました。1961年9月」とある。1945年3月10日とは東京大空襲があった日である。
空襲を終えた後の飛行中のことだったようだ。地元の日本人が建立したという。

「不忘の碑」からは又、道が二手に分かれ硯石に降りるコースと白石女子高山小屋跡に降りるコースがあり、後者をとる。この道はガイドの林さん曰く、東北三大悪路だそうで、なるほどぬかるみの道で登山靴がドロドロになってしまった。途中のアザレア平に14:50。
白石スキー場には15:50着いた。「やすらぎの湯」で一浴して、白石インターに17:30。
バスの運転手が飛ばしてくれて、東京駅前に21:30。
21:50の夜行バスで7/1朝、京都に戻ってきた。

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