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2016年07月01日13:17

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原発雑考 第336号   高浜1、2号機の運転期間延長、松下竜一と〈暗闇の思想〉など

原発雑考 第336号の転載です。


2016・7・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp



高浜1、2号機の運転期間延長

 原子力規制委員会が、関電高浜原発1、2号機について原則40年とされる運転期間をさらに20年延長することを認可した。
 この決定には二つの大きな問題がある。第一に、原発の運転期間を40年にするという原則をいとも簡単に踏みにじったことである。
 この点については、「想定外の問題が生じる可能性が否定できないからこそ、命を守る安全上の目安として40年の原則を決めたのに、(この決定によって40年という年限は)単なる運転延長認可の期限という意味になってしまった」という勝田忠広氏のコメント(朝日新聞6月21日)が要を得ている。
 規制委員会の田中委員長は例によって、「『原則』とか『例外』とかは政治的メッセージ。原発を減らすかどうかは社会が決めることだ」という妄言を吐いている(同上)。
 「40年が原則で、延長は極めて例外的」というのは田中委員長も言ったことだ。いまになって他人事のように「政治的メッセージ」として切り捨てるのは、無責任の極みである(安部首相の「新しい判断」と同類である)。
 また、「原発を減らすかどうかは社会が決めることだ」という言明は、政権政党を含め原発を減らすという社会的合意があることを無視しているだけでなく、行政機関は社会の意思にかかわりなく専断的に業務を執行してよいとする時代錯誤的な思想の表明でもあり、とうてい容認できない。
 第二の問題は、20年延長を可能にするために、審査において関電にたいして種々の信じられないような便宜を計ったことである。
 スペースの都合で一例だけ挙げるが、基準地震動が引き上げられたことによって、従来の手法で評価すると原子炉内の機器の耐震安全性が確保できないという問題が持ち上がっていた。それにたいして関電は、評価手法を変更すれば安全性は確保されるという申請をし、規制委員会は、その新しい評価手法が妥当であることを検証しないまま関電の申請を受け容れたのである。



 松下竜一と〈暗闇の思想〉

 いまから6年前の2010年秋に、私は当時勤務していた大学の教職員組合の文集に「松下竜一と〈暗闇の思想〉」と題する文章を寄稿した。その半年あまり後に福島原発事故が起き、松下竜一の〈暗闇の思想〉は改めて注目されるようになった。今年6月17日が松下竜一の13回忌(逝去満12年)だったこともあり、6年前の文章を以下に再録することにした。

 作家で市民運動家、そして30年間にわたり月刊の市民運動通信誌『草の根通信』を編集、発行し続けた松下竜一が死んでから6年が経つ。
 『草の根通信』は、1970年代の豊前火力発電所建設反対運動の中から生まれた。この運動は、環境権を正面に掲げた住民運動として歴史に名を残すが、同時に松下竜一は、行動の原理として〈暗闇の思想〉を唱えた。
〈暗闇の思想〉とはなにか。それはまず過剰な電力消費の拒否である。
 高度成長真っ最中の当時、電力消費は年率10%を超える勢いでうなぎのぼりに増加し、「電力不足」が叫ばれていた。電力各社は節電を呼びかけたが、それは、人びとが実行しないことを見越した上で、そして電力会社も節電を促進する取り組みを一切行わないで、「電力不足」解消のための新発電所建設の免罪符を得ることを目的とするものであった。この欺瞞に怒って松下竜一は、過剰な電力消費の拒否を、暗闇=停電の要求として表現したのである。
 いま電力会社は、地球温暖化防止のための節電を呼びかけている。同時にその何倍もの熱心さで、オール電化住宅という電力浪費システムの普及に励んでいる。事態はいっこうに変わっていない。
 〈暗闇の思想〉は、さらに暗闇そのものの積極的意義と価値を主張する。当時書かれた松下竜一の2つの文章の一部を紹介しよう。
 今、私には深々と思い起こしてなつかしい暗闇がある。一〇年前に死んだ友と共有した暗闇である。友は極貧のため電気料を滞納した果てに送電を止められていた。私は夜ごとこの病友を訪れて、暗闇の枕元で語り合った。電気を失って、本当の星空の美しさがわかるようになった、と友は語った。暗闇の底で、私たちの語らいはいかに虚飾なく青春の思いを深めたことか。暗闇にひそむということは、何かしら思惟を根源的な方向へと鎮めていく気がする。それは、私たちが青春のさなかにいたからというだけのことではあるまい。皮肉にも、友は電気のともった親戚の離れに移されて、明るさの下で死んだ。友の死とともに、私は暗闇の思惟を遠ざかってしまったが、本当は私たちの生活の中で、暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないかと、この頃考え始めている。(「暗闇の思想」 注1)
 ……全家庭〈テレビ離れ〉した一夜の濃密な暗がりから、なにがむらむらと復活してくるのか。
 予感しないか。
 暗闇にひそみこむとき、人間の思惟のおのずからきりきりと錐のごとく根源めざして収斂されゆくだろうことを。明かるさの中での虚飾を剥ぎとられて、それこそ五体ひとつでの厳しき自立が、そこからこそ出発するであろうことを。闇の底に寄りあえば、おのずから言葉は親しく、本然のやさしさを帯びはじめるだろうことを。発展とか開発とか成長とか、つまり明かるい未来なるものが、意外にも虚妄であることの、闇の底からこそ見通せるだろうことを。さらには、明かるさの中で隈なく国民を統轄してきたつもりの支配者に、この国民の〈総くらがり〉は、うろたえるほどに不気味であろうことの痛快さまで。(「暗闇への志向」 注2)
 1970年3月、大阪万博開幕の日に日本原燃敦賀1号機が運転開始し、同年11月に関電美浜1号機、71年3月に東電福島第一1号機、76年3月に中電浜岡1号機がそれぞれ運転開始している。松下竜一たちが豊前火力建設反対闘争を行っていた頃、原発が発電・エネルギーの分野での社会的関心・抗争の焦点になる時代が、すでに始まっていたのである。松下竜一は1999年につぎのように述べている。
 いまや原発の時代へと移ってしまったが、反火力運動の中で唱えた「暗闇の思想」の持つ意味はいっそう切実さを増しこそすれ、薄れることはあるまい。(「しろうとの真剣勝負」 注3)
 昨今、地球温暖化対策として発電時にCO₂をわずかしか排出しない原発を推奨する向きがあるが、生命・生存の全局面を見据えたとき、CO₂を大量排出する火力発電をコレラとするなら、放射能を生み出し撒き散らす原発はペストにほかならない。コレラとペストのいずれを取るかという選択はあり得ず、どちらも拒否されねばならないことは自明である。
 遠からず人類は、再生可能エネルギーを利用しつつ、節約を旨として生きることになろうが、それがかえって豊かな生をもたらし得ることを〈暗闇の思想〉は示している。

注1、注3 『松下竜一 その仕事12 暗闇の思想を』 河出書房新社 所収
注2 『松下竜一 未公刊著作集4 環境権の過程』 海鳥社 所収



雑 記 帳

6月はじめに京都で高校時代に親しくしていた同級生3人に会った。55年ぶりである。なぜそんなに長期間会っていなかったのか。 同窓会が嫌いで出席しなかったこともあるが、一番大きな理由は、高校1年の3月に父の転勤で家族が引っ越し(高2、高3は下宿暮らし)、高校の所在地(四国松山)には「帰省」すべき家が無くなっていたからである。
 当日は、正午に京都駅で落ち合い、駅の上に作られた商業的迷宮とでも呼ぶべき巨大な空間を巡りながら飲み食いして、4時間ほどを過ごした。そのときの話題はもっぱら高校時代のことだった。共通の思い出以外のことを語るには、離れていた時間が長すぎたということであろうか。
 
 ツバメはけっきょくわが家の巣を使わなかった。少し離れた所ではかなりの数のツバメが営巣していたのに、わが家の周辺では営巣は皆無だった。家の前の公園のクスノキの木にカラスが巣を作ったことが原因だろう。
 そのカラスの巣で3羽が孵ったが、1羽はほかの2羽に比べて明らかに小さく、巣から出ても飛ぶことができなかった。それでも親や兄姉に見守られて地上で生活しているうちに、10日ほどでなんとか飛べるようになった。
 カラスの巣は上部から丸見えである。ある程度育ったヒナなら、巣に居続けるよりも、飛べなくても地上に居るほうが安全なのかもしれない。

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