6月30日
犠牲=一体性=生存
AAの一体性、有効性、存続が保たれるかどうかは、全体の安全と福利のためには個人の野心や願望の一部を手放そうとする私たちの努力にかかっている。犠牲が個々のアルコホーリクの存続を意味するように、犠牲はグループとAAの共同体全体の一体性と存続を意味する。
ビルはこう思う 220
AAのために自分の性格的な特性の一部を犠牲にしなければならないことを学んだ。その結果、たくさんの贈り物を手にしている。名声を求めようとするとき、間違ったプライドがぱんぱんにふくらんでゆく。しかし伝統6を生きることで、名声の代わりに謙遜という贈り物が与えられる。従属関係のない協力というのは間違いやすい。外部の利益とはまったく関係を持たずにいれば、私は自由にAAの自律性を保ってゆける。そうすることで、このAAの集まりは、後に続く世代のために、健康的に、強力に、ここに存続する。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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6月30日
アルコホーリクがアルコールを飲んでいる間は、現在に生きることをしようとは思わないし、またできない。その結果、絶え間なく後悔と恐れに襲われている。というのは決して日の元には出せないような過去や、病的な興味、あるいは未来への不安と、その漠然とした前兆を感じているからである。アルコホーリクにとって本当の希望は現在に直面することである。今がそのときだ。現在だけが今の私のものである。過去は思い出の彼方にある。未来は不明である。現在だけが今の私のものなのだ。
私は今に生きているか?
黙想
過去に浸ることはできるだけやめよう。過去は過ぎ去り永久に戻ってこない。過去の出来事に対して、今できることは何もない。今、できることは再び同じ過ちを犯さないことである。過去の失敗の重荷は下ろそう。神への信頼を持って前進しよう。雲は徐々に晴れ、道は徐々に照らされていくであろう。前進するにつれ困難は和らぐであろう。神はご自分が癒された者に対して、責めることはなさらない。過去において、私の生き方がどんなにひどいものであったとしても、癒された今、まったき自由な者へと変えられている。聖書の中のこの言葉を常に心にとどめておきたい。「私はおまえを罰しはしない。行きなさい。そして二度と同じ過ちを犯さないように」
祈り
過去の重荷を下ろさせて下さい。過去を捨て、信仰のうちに歩ませて下さい。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ AAには最初のころにはどうもうなずけない言葉、というものがたくさんあります。私にはその一つが「手放す」でした。自分はただでさえたくさんのものを失ってきたのだから、さらに手放して失っていくとは何事だ!という感じでしょうか。同じように、犠牲もそうでした。AAでは与えられていくプログラムをやっているはずなのに、なぜ捨てていかなければならないのか?と納得いきませんでした。
やはり自分のことを第一に考えていたからでしょう。伝統1に書いてあることが自分に即して考えられるようになってくると、周りのことも考え始めるようになりました。その周り、というのがどこまでを含んでいるのかはともかく。そうすると、自分には当然と思えるようなことでも、周りの人のことも考えると、抑えた方がいいと感じられるものがあることに気づき始めました。
その抑えた方がいいものを自分から差し出すことが実は犠牲というものなのだ、と気づくのにかなり時間がかかりました。自分から進んで手放すことなのですね。犠牲にするのは、自分の欲望や野心、人からこう思われたい、という気持ちなのだ、ということも分かってきました。そうすることで広い意味で助かっていく人が増えたり、AA全体の役に立つ活動ができるようになってきます。自分が犠牲になってどうのこうの、という話ではなく、役立つことができる障害になっている自分の中のものを取り除いていくことこそが犠牲なのだ、と今では思っています。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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