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2016年06月20日08:56

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俗流改憲論を批判する

ネット党首討論、改憲議論は
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4051841

自民党の改憲草案の愚劣さは過去にこの日記でも散々指摘してきた。なにしろこの草案は野党時代に作ったことも影響して、自民党内部ですら保守色の強さに懸念をもたれるほど出来が悪い。私が一番の欠陥条文と見ているのは、草案の第21条2項であるが、今回は条文の指摘だけして、どこがどう問題なのかは各自考えて欲しい。

改憲の焦点は常に9条にあるので、俗流改憲論を軽く駁しておこうと思う。

まず、いわゆる「押しつけ憲法論」について。全くくだらない議論だと思うのだが、意外とこれに説得されてしまう人も多いようで、実に不可解だ。日本語の用語法として「押しつけ」とは、嫌がるものを無理やり強制するという意味合いがあると思う。そういう意味で言うと、憲法制定当時、この憲法を「嫌がっていた」人間は誰で、何を「嫌がっていた」のかが問われるべきだろう。

まず国民の側は現行憲法を歓迎こそすれ、嫌がってなどいなかった。民間からも活発に改憲草案が出されていたことがそれを物語る。そもそも国民目線で見れば、明治憲法よりもはるかに権利が拡張され、自由も広がっているのだから嫌がるわけがないのである。こと9条に関しても、夥しい数の屍を生み出した大戦争の直後でもあり、それを主導した軍備の解体はほとんど自明のこととして受け止められていた。

要するに嫌がっていたのは国民ではない。誰が嫌がっていたかといえば、当時の国家指導層に連なる人々である。そしてその人々が本当に嫌がっていたのは、実は9条ではない。

私に言わせれば、現行憲法において「押しつけ」と評価されるべき条文は、9条よりもむしろ1条の方である。つまり象徴天皇制である。当時の国家指導層の最大の関心事は「国体の護持」にあったのだから当然である。その「国体」が第1条によってものの見事に換骨奪胎されてしまったわけで、これほど不本意なこともあるまい。

押しつけ憲法論を持ち出して改憲を唱えるなら、この1条の改憲こそそれにふさわしい。しかし、なにしろ今上天皇自身が、象徴天皇制こそ我が国の伝統に合っているとの発言も残しており、これを今から「押し付けだから改憲だ」と持ち出すのはいかにも苦しい。

つまり9条に関して押しつけ憲法論が成立する余地は、ないとは言わないが、狭すぎて無理がある。そもそもそのようなアメリカへの対抗意識に改憲の根拠を見出すならば、9条改憲はむしろやらないほうがいい。今のアメリカにとって日本が9条を改憲してくれれば、これほど嬉しいことはないのだ。アメリカに押し付けられた憲法だから、アメリカの望むように自主的に9条を改憲しよう、などという主張は支離滅裂である。押しつけ憲法論者は論理的思考ができないのだろうかと、いつも不思議に思っている。

続いて、「丸腰国家」批判について。9条護憲を唱えると、直情径行の改憲論者が嬉々として持ち出すのが、「丸腰でどうやって国を守るんだ」という批判である。私も何度か食らったことがある。

しかし、今の日本において9条をこのまま保持していくことと、日本が丸腰になることは同じではない。言うまでもなく、今の日本には自衛隊が存在し、在日米軍もある。今日現在も9条が存在し、自衛隊が存在し、在日米軍が存在している。その日本で昨日までと同様、9条を持ち続ける選択をしたからといって、なぜそれが「丸腰国家」になることになるのか。意味不明である。

仮に9条改憲の試みが、国民投票なりなんなりで阻止されたからといって、その日から自衛隊が雲散霧消するとでも言うのだろうか。もしそうなら9条護憲論は、そのまま自衛隊解消論となり、丸腰国家論にもなるだろう。だがどう考えてもそのような想定は無理筋である。

つまりこの丸腰国家批判も、結局のところ改憲論者の妄想の産物に過ぎず、9条護憲論とは直接関係のない的外れな批判なのである。

最後に指摘したいのは、軍事力による国防そのものの盲点に関してである。丸腰でどうやって国を守るんだ、という批判は暗黙のうちに自国の軍隊が自国の防衛のために存在していると決めてかかっている。

ここで考えてもらいたいのは、世界中の国に軍隊は存在するが、他国から、特に中国・ロシア・アメリカといった軍事大国から、攻め込まれたら国を守れない程度の軍備しか持たない国が大半であるという事実である。これらの国々は、何のために軍隊を持っているのか。

確かに他国の侵略に備えるという目的もあるのだが、それと同じくらい、国内の治安維持のための暴力的な担保として軍隊を持っているのである。実際、アメリカでも暴動があれば州兵が出動するように、自国の軍隊の銃口が自国民に向けられることは決して珍しいことではない。

日本の改憲論はしばしばこの点を見落として議論されている。平和ボケしてしまった改憲論者たちは、無邪気にも自国の軍隊が自分たちを守ってくれるとだけ想定している。その銃口が自分たちに向けられる可能性をほとんど考慮しない。

しかし、そもそも自衛隊自体、元々は国内の治安維持組織として発足しているのである。朝鮮戦争によって日本に駐留していた米軍が朝鮮半島に渡らねばならず、日本国内に軍事的空白が生まれてしまうから、「警察予備隊」は発足したのである。名前のとおり、「警察の予備」であるから、当然その銃口は国民に向けられることが想定されていたのである。

こういう出自からすれば、自衛隊とてアメリカ主導で生まれたのであり、改憲論者諸君は得意の「押しつけ」を主張して自衛隊の解体解消を叫んでも良さそうなものだ。それをしないということは、改憲論はなんのことはないただのご都合主義に過ぎないということなのだ。

9条のメリットは、こうした軍事力が持つ国民への攻撃力を効果的に抑制する点にある。したがって、自衛隊・在日米軍が存在する日本において9条が存在することは実に合理的なのである。

要するに、俗流改憲論のロジックは支離滅裂で、およそ合理性のない平和ボケだということである。
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