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2016年06月17日13:07

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自民党が死んだふりして様子見しているが・・・

■都知事選、野党候補一本化を検討 民進内に蓮舫氏擁立論
(朝日新聞デジタル - 06月17日 05:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4047545

●【自民党が死んだふりして様子見しているが・・・】
この自民に、野党も、インテリゲンチャもとどめを刺さない。
かくして国民は人間牧場につながれっぱなし。

●孫崎さんの舛添辞任の捉え方も、植草さんの舛添辞任の捉え方も、曖昧主義だ。
これはなぜか?

恐らく、日本国人民が、近代を通過したdemocracy人ではなく、democracyに未覚醒の土人であるゆえに、メディアで生きているインテリゲンチャは、人民をこき下ろすことができないのだ。

だが、それこそが、日本人民の未覚醒を永遠と続けるものだ。

ゆえに、日本国人民は、リベラル系のインテリゲンチャの言論、眉に唾つけて、取捨選択しなければならない。真に、偽や、偽とまでは行かなくても灰色のものが混ざり込んでいる。それが数%のものであっても、その数%が国民の命取りになる。


舛添問題、舛添辞任に追い込んだ理由を、孫崎さんは、「舛添知事事件の根本は、政治家と一般国民の認識の乖離にある。」こう説明する。
そしてこう結ぶ「今回の事件は、「政治家の感覚」と「一般国民」の感覚のずれであることを考えると、「一般国民」の感覚を持った人が出るべきであるが、それがなかなか見当たらない。」と。

だが、違う。
舛添知事事件の根本を、【政治の認識目的】と、その認識目的を実現するために【どんな視点を選択】するかで見てみよう。

認識目的:
『政治は道徳ではない、基本的人権を守るのが政治だ』というのが政治の認識目的だ。



選択する視点:
【1】舛添は基本的人権を守る政治をしたのか?

【2】基本的人権を守る政治とは異次元の、道徳問題というものに滑らせた議論に終始した原因は何か?

【3】舛添を使って基本的人権を守る政治推進をすることができなかったのか?

これで分析する必要がある。


認識目的:
『政治は道徳ではない、基本的人権を守るのが政治だ』というのが政治の認識目的だ。

この認識目的を孫崎さんはパスしている。


【1】舛添は基本的人権を守る政治をしたのか?

立憲主義破壊を批判し、自民党憲法草案を批判し、高額オリンピック施設を批判し、カジノ不要を宣言し、韓国朴大統領と平和外交をやったなど、
近代社会契約の主眼たる、即ち、日本国憲法の主眼たる、人民の基本的人権を守るという矜持は持っていたと言える。そのためのいくつかの重大な影響力ある発言をし、行動もした。

孫崎さんはこの視点【1】をパスしている。

【2】基本的人権を守る政治とは異次元の、道徳問題というものに滑らせた議論に終始した原因は何か?

(1)世論をミスリードしたのは、官邸、CIAらの戦略だろう。リーク情報をながし、莫大なカネを宣伝に使っただろう。
孫崎さんはこの視点【2】―(1)をパスしている。パスは言い過ぎか?だが弱い気がする。

(2)野党も、議会でのチェックの仕事をさぼっていた。この自己批判を回避し、舛添ひとりに責任の眼を向けさせようとした。
孫崎さんはこの視点【2】―(2)をパスしている。

(3)国民自体が、democracy土人で、政治の認識目的が『政治は道徳ではない、基本的人権を守るのが政治だ』ということを理解していない。
孫崎さんはこの視点【2】―(3)をパスしている。

【3】舛添を使って基本的人権を守る政治推進をすることができなかったのか?

そんなことはない。
できた。
孫崎さんはこの視点【3】をパスしている。

こういう指摘もある。
【舛添さんを「セコいこと」で責めないで
駒崎弘樹 | 認定NPO法人フローレンス代表理事/日本病児保育協会 理事長
2016年6月13日 23時8分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160613-00058794/

議会が本分のチェック機能を果たし、知事が、下記のこういう矜持でやるといっているのだから
基本的人権を守る政治をさせる絶好のチャンスであった。
【<舛添都知事>「すべての給料を辞退。全身全霊で都政に」2016年06月13日 19:24 毎日新聞http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4041434&media_id=2



指摘したことは

【1】 舛添知事には道徳的に問題があった。

これは道徳問題で辞任は当然という主張。
世論に迎合している。
さもなければ、愚民大衆の「政治は道徳である」と言う主張と同じ。
このレベルの実力の政治評論家ではない。


【2】 甘利と舛添では、メディアの扱い方に差があった。

(1)政党自身が、党利党略であった。

甘利と舛添の扱い方の違いを例に指摘している。


(2)メディアは御用メディア化している。国家権力の圧力が働いている。

甘利と舛添の扱い方の違いを例に指摘している。



指摘しなかったことを端的に言えば
【国民自身がdemocracy土人である事を率直に直接的には指摘しなかった。】
すなわち、近代社会契約の国家の定義に覚醒しておらず、
すなわち、【国家は人民が、自然権たる人民の基本的人権を守るために作った】という国家の約束定義に覚醒していないこと、自然権という約束定義にも覚醒していないことを指摘しない。
この点を孫崎さんはパスしている。


孫崎さんの主張;

『舛添辞任について:政治家感覚と一般国民の意識の乖離。今一つ舛添氏は安倍首相との距離があり、マスコミ徹底的に叩く
ブロマガ
Thu, 16 Jun 2016』
*−−−−−引用開始−−−−−−−*
舛添知事事件の根本は、政治家と一般国民の認識の乖離にある。

代表的なのは「湯河原の私的別荘に知事公用車で通うのは違法ではない」「海外出張で高額ホテルは知事に相応しい」とする感覚とこれに反発する世論である。

ただ、考えなければならないのは、「もし舛添氏が安倍首相と緊密な関係であったら、マスコミがここまで追求したか」の問題がある。

例えば、舛添氏と甘利氏の件を比較してみよう。

2016年6月1日付「郷原信郎が斬るが斬る」が「特捜検察にとって”屈辱的敗北”に終わった甘利事件」を掲載した。

***************************

 東京地検特捜部が、甘利元経済再生TPP担当大臣とその秘書のあっせん利得処罰法違反事件について、すべて「嫌疑不十分で不起訴」という処分を行った。

週刊文春で報道された今回の事実関係は、ほとんどが録音記録等に基づくもので疑いの余地がない。秘書が、URに対して、再三にわたって、補償金の支払・増額を迫り、多額の政治資金を受け取ったり、個人で現金をもらったり接待を受けたり、甘利氏自身も、そのような業者から大臣室で現金を受け取る。そのようなことを平然と行えるのは、まさに、権力の一極集中の下での政権与党の有力閣僚の「驕り高ぶり」そのものである。そのような事案に対して、捜査の着手も大幅に遅れ、ようやくURへの強制捜査着手で、若干の期待をもたせたかと思えば、あっさり全員不起訴で決着。このような捜査の経過と結果は、過去には「日本最強の捜査機関」と言われ、時の政治権力に屈することなく、「厳正公平、不偏不党を貫く」というのが、検察の矜持だった。その検察を象徴する存在であった「東京地検特捜部」の看板は、地に堕ちたと言わざるを得ない。

検察が世の中の期待に応えられない場合の常套手段として、処分に先立って「前打ち報道」が行われ、そこで検察の内部情報に基づく「不起訴の理由」が説明される。

しかし、どう見ても、余りに「見え透いた言い訳」に過ぎず、一般的には、検察内部でも通用するはずのない理由だ。

、「薩摩興業側」にとっては、なかなか交渉が進展せず補償が払われないから、甘利事務所に「口利き」を頼んだことは明らかだ。それが2013年6月、そして、「当初UR側から薩摩興業側に約1億8千万円の補償金額が提示され、その後、補償額は2千万円ずつ2段階で増額。最終的には約2億2千万円で合意に達した。(産経)」という経過で、2回の増額の末、約2億2千万円の補償が支払われたのが、同年8月20日。そして、その日に、謝礼として秘書に500万円が渡された。「14年度以降負担額が変わる可能性があった」としても、7か月以上も先のことであり、この補償額の決定とほとんど無関係であることは明らかであろう。

****************************

 何故マスコミが舛添氏を徹底的に叩き、甘利氏を見逃しているのかは、罪の重さでは説明できない。

 罪の重さでは甘利氏の方がはるかに大きい。これを説明する理由は、甘利氏は安倍氏に近い、舛添氏は安倍氏と距離があるしかない。

 今次の人々が次期知事候補に名前を連ねている。

 ・人気アイドルグループ「嵐」の桜井翔さんの父親としても知られる桜井俊・総務事務次官。

 ・自民党:石原伸晃経済再生担当相、小池百合子元防衛相、萩生田光一官房副長

 ・民主党: 蓮舫、長妻昭

・橋下徹・前大阪市長、東国原英夫、宇都宮健児、

これらの人々がどれだけ舛添氏より適任であろうか。

今回の事件は、「政治家の感覚」と「一般国民」の感覚のずれであることを考えると、「一般国民」の感覚を持った人が出るべきであるが、それがなかなか見当たらない。

*−−−−−引用終了−−−−−−−−*

孫崎さんは、知事に適任者が見当たらないという。
眺めている、間違いだ。
基本的人権を守ると言う政治をする認識目的を持ってみるなら、
基本的人権を守る政治を野党統一候補によりさせる!という視点で見なければならない。
選ぶのは勿論、いかに議会チェックを厳しくするか、
この視点も重要だ。
国民が、democracy土人から覚醒し、主権(政治を最終的に決定する権利)の行使を人民がするべきだと、主張するのが本道だ。



では、植草さんはどう見ているか。

植草さんの主張:

「2016年6月15日 (水)
舛添氏辞任なら辞任するべき人物が多数存在」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-f61c.html
*−−−−−引用開始−−−−−−−−*
7月10日の選挙に向けて、この国のかたちをはっきりと認識して、何を争点として選挙に臨むべきかをすべての主権者が考えなければならない。


5月24日に鳩山友紀夫氏の東アジア共同体研究所が主催する


第14回世界友愛フォーラムで講演をさせていただいた


「安倍政治の本質とブレイクスルーの方策」


https://www.youtube.com/watch?v=AYaIEPu5vTk


を公開していただいているので、ぜひご高覧賜りたい。


講演内容は以下のとおり。


1.この国のかたち 米・官・業・政・電による日本支配


2.暴走する安倍政治 立憲主義と日本国憲法の破壊


3.暴走する安倍政治 戦争と原発の推進


4.暴走する安倍政治 アベノミクス失敗と消費税増税


5.暴走する安倍政治 弱肉強食推進成長戦略とTPP


6.鳩山政権殲滅工作 誰が鳩山政権を破壊したのか


7.資本主義対民主主義 ブレークスルーの方策


参院選に向けて、考え方を整理する上で、ご参考にしていただければありがたく思う。


何よりも大事なことは、


「安倍政治を許さない!」


と考える主権者と政治勢力がひとつにつながり、大同団結、連帯することである。



さて、東京都知事の舛添要一氏が東京都知事を辞職する辞表を提出した。


舛添氏は私が大学に入学したときに教養課程で政治学の講義をしており、そのときからの接触がある。


報道関係の番組でよく一緒に出演もしていた。


今回は政治資金の使途における公私混同問題がクローズアップされて、辞任に追い込まれた。


本来、公職にある者は、「公」と「私」の区別を厳格にしていなければならない。


血税の使い道は「公」の目的に限られる。


政治資金の使い道も「公」の目的に限られる。


正しい政治を行う第一歩は、政治に関わる者の清廉潔白さである。


その視点から見れば、舛添氏が辞任に追い込まれたのはやむを得ないと言って良いだろう。


もうひとつ重要なことは、「謝罪の作法」である。


「謝罪」するべきことがあるなら、率直に「謝罪」することが一番大切だ。


パーフェクトなどないのだから、過ちはあるだろう。


事実に正面から向き合い、事実を認め、そのことに見合う謝罪を真摯な姿勢で示す。


その結果、許しを得られるのか、許しを簡単に得られないのかは、謝罪を受けた側が決めることで、「過ち」の代償として、その裁定には従うほかない。



事実を認めず、真摯な謝罪を示さず、「過ち」の代償から逃れる行動は、「逃げ」であり、謝罪を受ける側の反発をさらに強めてしまう結果をもたらす。


舛添氏の説明のほとんどが「言い逃れ」であると判断され、主権者の「許す」の正反対の反応を招いたと言える。


この点について言えば、6月1日の安倍晋三首相の消費税増税再延期会見の姿勢も極めて類似したものであると言える。


「消費税再増税の再延期はない」と断言した。


しかも


「景気判断条項を付すことなく消費税再増税を実施する」


と断言していたのだから、その増税を再延期するなら、まずは率直に謝罪をするべきであった。


謝罪をし、その上で、再延期を決意した理由を述べる。


それについて、理解を得られるのかどうかを、選挙での審判によって受ける。


この姿勢が必要であった。


謝罪せず、


「新しい判断」で再延期すると開き直り、


参院選の争点は「アベノミクスを加速させるのか、逆戻りさせるのかだ」と強弁しては、主権者は安倍氏に厳しい判断を示すことになるだろう。


しかし、安倍氏に対してはメディアが攻撃せず、舛添氏に対しては過剰とも言える攻撃を展開した。


政治資金の不適正な使途が問題にされるなら、多数の政治家がやり玉にあげられなければおかしい。


安倍首相の政治資金の使途についても、舛添氏と同様に問題とされるものがある。


舛添氏をこの問題で辞職に追い込むなら、安倍氏も辞職に追い込まなければならない。


この点を考えると、舛添氏辞職の裏側には、やはり大きな力が働いていると見るべきである。


主権者の多くがメディアの思うままに誘導されている現実を直視することが何よりも重要である。
*−−−−−引用終了−−−−−−−−*

やはり、政治の目的を明確にしていない。
その為に選択する視点というものを明確にしていない。

まず、道徳を理由に辞任は当然と言っている。
道徳と政治は別であると言う認識を持っていない。
そして、道徳を理由に辞任せよと言っている。

ここは間違いだ。


返す刀で、道徳を理由に辞任させるからには、甘利もその他大勢の安倍晋三の抱える政治家も辞任に追い込むべきだと、言っている。
まぁ、当然の論理的整合性だが、議会にだれもいなくなるということを、暗に言っている。





あるべき政治の認識目的:
『政治は道徳ではない、基本的人権を守るのが政治だ』というのが政治の認識目的だ。

選択する視点:
【1】舛添は基本的人権を守る政治をしたのか?

【2】基本的人権を守る政治とは異次元の、道徳問題というものに滑らせた議論に終始した原因は何か?

【3】舛添を使って基本的人権を守る政治推進をすることができなかったのか?

これで分析すれば、

政治の認識目的をはっきりと打ち出していない。
パスしている。

【1】舛添は基本的人権を守る政治をしたのか?
は語られていない。
孫崎さんと同じくパス。

【2】基本的人権を守る政治とは異次元の、道徳問題というものに滑らせた議論に終始した原因は何か?

(1)世論をミスリードしたのは、官邸、CIAらの戦略だろう。リーク情報をながし、莫大なカネを宣伝に使っただろう。

孫崎さんと同じくこの視点【2】―(1)をパスしている。パスは言い過ぎか?だが官邸の圧力を指摘されてはいるが弱い気がする。

(2)野党も、議会でのチェックの仕事をさぼっていた。この自己批判を回避し、舛添ひとりに責任の眼を向けさせようとした。
孫崎さんと同じくこの視点【2】―(2)をパスしている。

(3)国民自体が、democracy土人で、政治の認識目的が『政治は道徳ではない、基本的人権を守るのが政治だ』ということを理解していない。
孫崎さんと同じくこの視点【2】―(3)をパスしている。

【3】舛添を使って基本的人権を守る政治推進をすることができなかったのか?
孫崎さんと同じくパス。


指摘したことは

【1】 舛添知事には道徳的に問題があった。

これは道徳問題で辞任は当然という主張。
世論に迎合している。
基本的に孫崎さんと同じ。

さもなければ、愚民大衆の「政治は道徳である」と言う主張と同じ。
このレベルの実力の政治評論家ではない。


【2】 甘利に限らず安倍晋三自民党政治屋と舛添では、メディアの扱い方に差があった。

(1)政党自身が、党利党略であった。

甘利に限らず安倍晋三自民党政治屋と舛添の扱い方の違いを例に指摘している。
基本的に孫崎さんと同じ。


(2)メディアは御用メディア化している。国家権力の圧力が働いている。

甘利に限らず安倍晋三自民党政治屋と舛添の扱い方の違いを例に指摘している。
基本的に孫崎さんと同じ。
植草さんのことばでいうなら
「しかし、安倍氏に対してはメディアが攻撃せず、舛添氏に対しては過剰とも言える攻撃を展開した。


政治資金の不適正な使途が問題にされるなら、多数の政治家がやり玉にあげられなければおかしい。


安倍首相の政治資金の使途についても、舛添氏と同様に問題とされるものがある。


舛添氏をこの問題で辞職に追い込むなら、安倍氏も辞職に追い込まなければならない。


この点を考えると、舛添氏辞職の裏側には、やはり大きな力が働いていると見るべきである。


主権者の多くがメディアの思うままに誘導されている現実を直視することが何よりも重要である。」



指摘しなかったことを端的に言えば言えば
【国民自身がdemocracy土人である事を率直に直接的には指摘しなかった。】
すなわち、近代社会契約の国家の定義に覚醒しておらず、
すなわち、【国家は人民が、自然権たる人民の基本的人権を守るために作った】という国家の約束定義に覚醒していないこと、自然権という約束定義にも覚醒していないことを指摘しない。
孫崎さんと同じ。

画竜点睛を欠くの点睛とはこの場合、【政治は道徳ではない。国民の基本的人権を守る】ということだ。
これは、近代社会契約の国家の定義に通じている。
すなわち人民が、
【国家は人民が、自然権たる人民の基本的人権を守るために作った】という国家の約束定義に覚醒していないこと、
自然権という約束定義に覚醒していないことに通じている。

何故だろう、我が国のインテリゲンチャから政党まで全てこの点をパスする。
インテリゲンチャそのものが近代を通過してないのか。
インテリゲンチャそのものが自然主義ファラシーを通過してないのか。
どの政党も、日本共産党までが近代を通過してないように。
自然主義ファラシーを通過してないように。
それとも、これを問題にすることは、彼らの自滅と直結するのか。

いずれにせよ、ならば国民自身が覚醒するしかない。

【了】

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