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2016年06月14日01:32

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上石神井〜吉祥寺散歩オフ

昨日は東京再発見の上石神井から吉祥寺まで歩くオフに参加してきました。

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11:50に上石神井駅集合でしたが早めに行ってランチにし、色々迷った末、駅前通り沿いのインドカレーの店「ミトミトカレー」に入り、ロースカツカレー(690円)を食べました。日本風のカツカレーと本格インドカレーのコラボを売りにしていますが、カツにはインドカレーのルーもよく合うのですね。サラダとドリンク付きでこの値段だし、大盛・辛さ増しは無料なので、この手のインドカレー店にしてはリーズナブルといえます。
集合してからは駅前通りを進み、名物ジャンボ餃子の一圓ラーメン、喫茶リーフ、ぎょうざの満洲上石神井南口店、ホームベーカリー藤ノ木、カレーのanalog、オーガニックカフェゆめみらいカフェ、讃岐うどんの麺の里、ロケ弁の津多屋を見て千川通りに出ました。
千川通りは千川上水を暗渠化して、並行する細道と合わせて幹線道路化したもので、この交差点には庚申塔があります。この庚申塔も創建当時は水辺にあったわけですね。
次いで、和菓子の三陽、上石千川児童遊園を見ました。この公園には水車型の遊具がありますが、千川上水にはいくつか水車があったそうで、ここも昭和40年頃まで「田中水車(観音山水車)」と呼ばれた水車があったとのことで、それをモチーフに作られたものとのことです。
その後は千川通りを青梅街道との交差点方面に進みました。千川上水は青梅街道を越えたところまで暗渠化されていますが、ここでは途中まで千川上水緑道という遊歩道になっています。
遊歩道が終わった辺りには、「体験型農業石神井ファーム」という農園がありましたが、昔の農家をそのまま転用したのか、古い家がそのまま残っていました。
その後は、青梅街道の関町1丁目交差点を渡り、千川上水の開渠部を見ました。青梅街道を境に下流は大部分が暗渠化されていますが、上流部は大部分が開渠になっています。
次いで青梅街道沿いを歩いて、御嶽神社、中華梁山泊と進みました。梁山泊は夜しか営業しない店です。
ここで青梅街道を引き返し、マンモスカフェを見て、コンビニで小休止後に竹下稲荷神社に到着。江戸時代天明年間に創建されるも明治以降は天祖若宮八幡宮に合祀され、平成に入ってから再び現在地に再建されたそうです。一度合祀されてなくなった神社が復活するのは、近年では珍しいのではないでしょうか。この神社の向かいは、関東バスの青梅街道営業所です。
その後は、焼き立てパンのWITH、河川か水路跡と推定される未舗装の細道のあたりで杉並区に入り、善福寺横の庚申塔を見て、大和市神社を見ました。「大和市」の読み方は「やまとし」ではなく「おおわし」です。中には創建当時にこの地で捕獲された鷲の剥製が安置されています。
また、この神社の前の道はまっすぐ続いていますが、すり鉢地形のところを横切っているようで、一旦下り坂になってまた上り坂になるという地形がよく分かるのが面白かったです。
その後は曹洞宗善福寺を見ました。この寺の元々の名前は「無量山福寿庵」で、この地の名前の由来となった元々あった善福寺とは別物だそうです。元々の善福寺は地震か火災か戦乱で(詳細は不明らしいです)消滅して廃寺になってしまい、後年に全く別のこの寺が、逆にここの地名に合わせて善福寺を名乗るようになったそうです。現代社会に例えると、倒産した会社の消えたブランドを全く別の会社が引き継いだようなものと言えますが、寺でもそういうケースがあるのですね。

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次いで、その名の通り江戸の方角を向いている江戸向き地蔵と三山百番供養塔、駐車場の中にある小さな浅間神社と杉並区唯一の現存する富士塚、交差点の銅板建築を見て、井草八幡宮前に出ました。
ここではいきなり井草八幡宮に入らずに周囲を見てから入り、昭和初期の石鳥居、椿の庚申様、井荻町土地区画整理碑を見ました。区画整理碑は、特別仕立ての貨物列車で荻窪駅まで運び、その後ここまでトラックで運んできたそうです。
次いで、うなぎのうな藤、ラーメン天の道を見てから井草八幡宮に入りました。井草八幡宮は5年に一度流鏑馬が行われるそうですが、裏の入口付近で行われるらしく、参道横の植え込みに「一の的」、「二の的」と書かれた石がありました。
その後境内に進むと頼朝公御手植の松がありますが、初代が枯死してしまいこれは2代目だそうです。
ここでは参拝しつつ小休止をしました。裏に神社施設の一つである古民家があり、その奥に井草民俗資料館が併設されていますが、月1回程度しか開館しないので、入れる機会が非常に少ないです。
井草八幡宮を出た後は、民家の間のドブ板で蓋をした細い水路を見て、善福寺川の八幡西橋に出ました。
ここから善福寺川沿いを歩いて、善福寺公園(善福寺池下の池)に出てから池の周囲を歩き、善福寺池上の池に向かい、内田秀五郎翁像を見ました。
大正〜昭和初期にかけて杉並区発足前の井荻町の町長を務めた人で、区画整理や水道・電気の設置、西荻窪駅の誘致など町の近代化に活躍したとのことです。そういう事業を行うにあたって私財も投じたそうですから、税金を私物化する汚い悪事を働いたどこかの都知事や号泣野々村などは、一度この銅像の説明書きをよく読んで感想文を書くべきです(ここまでの交通費はもちろん自腹で)。
次いで、遅野井と市杵嶋神社を見て、ここで小休止。遅野井は、源頼朝が奥州合戦の途中で立ち寄り、井戸を掘るもなかなか水が湧き出ず、弁財天に祈りやっと水を得たという故事に由来するそうです。市杵嶋神社は池の中州にありますが、橋が撤去されてしまい近づくことはできません。

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小休止中に善福寺池の周囲を1周し、その後は公園を出て坂を上がり、小さな稲荷神社を見て再び練馬区に入り、竹下の森緑地、キリスト教系の三育学院(東京三育小学校)を見ました。
この辺りまで来ると、マンション名に「吉祥寺」を冠したものが見えてきましたが、まだ武蔵野市には入っていなく練馬区でした。また、23区内では数少なくなった広大な農地も多くみられました。
その後は再び千川上水沿いに出て、立野公園に入りました。ここには練馬区の友好都市である北京市海淀(かいでん)区から贈られた碧桃樹が植えられた「桃花源」という中華風庭園があります。
川崎の大師公園内にある中華風庭園の「瀋秀園」みたいなものを想像していたら、それに比べてずっと小規模でしたが、異国情緒は十分に感じられました。
石碑に練馬区と北京市海淀区のプロフィールが書かれていましたが、1994年時点で人口約144万人、面積約426平方km(練馬区は約63.5万人、約48平方km)と、人口も面積も桁違いなので驚きました。現在はさらに人口が増え、224万人という説と328万人という説があります。
日本の東京23区や政令指定都市の区みたいなものを想像していたのですが、北京市自体が四国並みの面積で人口2000万人以上という超巨大都市だそうで、当然その中にある区も巨大になるわけですね。

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公園を出たところでいよいよ武蔵野市に入り、北町ビオトープ前を通過して、トウモロコシなどを売っている農産物直売所を見て、千川上水沿いのキャベツ畑に出ました。このキャベツ畑のところで再び練馬区に戻りましたが、23区内であることが信じられない広大な畑だったのが印象的でした。
また、付近には「千川上水施餓鬼亡霊供養塔」という名前を聞いただけでは非常に不気味なものがあります。今は水量が少なく流れも緩やかな千川上水も昔は流量が多く、溺れる人も多かったそうです。
その後は成蹊学園前に出て、学校沿いのケヤキ並木を歩きました。かなり以前の街歩きでもここを歩いたことを思いだしました。
初めて知ったのですが、成蹊学園は創設者の一人が三菱財閥の4代目代表の岩崎小弥太であることなどから旧三菱財閥との関係が深いそうで、そのため現在でも三菱グループへの就職には強いそうです。高校の頃にそれを知っていれば、受験したかもしれなかったのに。もっとも、三菱でも2度にわたってユーザーを不安に陥れる不祥事を起こして非難を浴びた三菱自動車には就職したくないですが。
また、ここでは猫写真を1枚。猫がいそうな場所は多くありましたが、今回は結局ここでしか遭遇していません。
ケヤキ並木を抜けた後は、成蹊大学正門を通過して五日市街道に出ました。
五日市街道沿いでは、うどん白石、寿司の麻布まつ勘、三峯神社を見て、洋菓子のA.K Laboにて買い物タイム。小さいパンが200円以上したりで安くはありませんが、美味しそうなので、「パン・オ・レ」という牛乳入りパンを1個だけ買いました。ここは売り場にパンが置いてあるのに何故か自分で取れず店員を呼ぶシステムで、整形前のスザンヌみたいな店員に取ってもらいました。
また、「台北夢遊」という台湾の旅行と食を写真で表現する同人誌風の本も売っていて、薄っぺらい割に値段は高いけど個人的に興味深い内容だったので、これも買い、おまけで台湾のパイナップルとクッキーが写っている写真が1枚もらえました。
その後は、パンのaoi、インド料理のムンタージを見ました。ここで五日市街道と交差する通りは扶桑通りという名称で、「ふそう」という名を冠した店名も多いですが、住友金属鉱山の前身「扶桑金属鉱山」があったことからそういう名称なのだそうです。成蹊学園=三菱ということで、三菱ふそうトラック・バスの「ふそう」かと思ったら、違いました。
次いで、ラーメン二郎の初のチェーン展開店である成蹊前ラーメン、ゴブリン、手打ちそば中清を見てから西五条通りに入りました。細い道なのに、立派な名称が付いているのが印象的でした。
そしていよいよ吉祥寺駅北口の街中に入り、弁天湯、フィンランドから来たドーナツ店のアーノルズを見て、第一ホテル内にあるボーリング発祥の地の碑を見ました。1952年(昭和27年)12月20日、日本で初めての本格民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が青山に開業するも1年で経営破綻し、それを第一ホテルが買収して現在地に移転したのだそうです。
また、第一ホテルは現在、阪急阪神ホテルズの経営ですが、創業者が阪急電鉄など阪急東宝グループを創業した小林一三氏だったのですね。
第一ホテル前のカヤシマという店が今回の飲み会の会場でしたが、時間があるので街歩きは少しだけ続行となり、五日市街道沿いの武蔵野八幡宮に行きました。
八幡宮横の交差点には「野田北市街地住宅」という古い公団住宅がありましたが、昔の住宅都市整備公団ロゴが今も残っているのが印象的でした。
吉祥寺にある安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺を総称して「四軒寺」と呼びますが、「吉祥寺」という名前の寺はなく、神田駿河台にあった「曹洞宗諏訪山吉祥寺」の門前町だけがここに移転してきて五日市街道沿いに開村したのが始まりだそうです。一方で寺は文京区本駒込に移転しています。
最後は安養寺と蓮乗寺を見て、街歩きは終了となりました。
終了後はカヤシマにて飲み会。今回は疲れのせいか酔いが回るのが早く、やっと1杯飲んだような状況でしたが、最後まで楽しんで来ました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40082528.html
(2)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40082533.html
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