mixiユーザー(id:3521490)

2016年06月12日03:03

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win10にしてしばらく経ったけれど。

そもchromeでブラウジングとitunesしか使ってないので不具合が起こる可能性は限りなく低いハズであったし、まぁ実際使用に差し支えるようなことは今のところない。
 が、終了する為には、スタートメニュー開いて
・エクスプローラー
・設定
・電源
・すべてのアプリ
という意味不明な順番で配置されているところから選ばなくてはならないのに若干イラッとする。つーか並べるようなもんじゃないやろ。今やもうミクロソフトなんかにまともな使い心地を求めるのが間違っているという風潮になってはいるのだろうけれど、なんかこういう細かいところが嫌である。が、細かいところに不快感を覚えれる程度に、他はまともに使えているのだと考えれば、想定よりはマシだとも言えるが。


kōkuaのアルバムの方のProgress。本当にロックというかそういう曲作りしてる。面の音と言ってたのが凄くよく判る。「砂時計」と「黒い靴」の名曲っぷりよ。キャッチーでロック。


ハンターハンター過去のバトルシーン読み直して、改めて漫画巧過ぎやろとか思う。立て続けに描かれた名勝負と言われているウボォーVSクラピカと、ゾル爺父VSクロロだけを見比べても、表現や演出が全然違うのが凄い。前者では、拳や鎖で地面を破壊する互いのエフェクトで威力の高さを表しそれが逆に不可解で異常な強さであると示唆しているのに対して、ゾル爺父の攻撃は白抜きの手刀や蹴り足に過剰な集中線でその一撃の重さ、熟練による根拠のある強さみたいなものを表現しているのが判る。
 シリーズが変わっていく度どころか、シーンごとに手法を変えているというのは、本当に読んでて楽しい。当たり前なのだけど、こんだけ色々なものを多大に出せるってのは、やっぱりよっぽど吸収してきたものも多いのだろうなと。
 が、こうなってくると、そうやって膨大な吸収、消化して自分の手でそれをアウトプットする表現者と、その最後のアウトプットだけを読んで凄い凄いと言っている私の差が、更に圧倒的に広がっていくんだなぁ、とちょっと残念な気持ちにはなる。こうやってネットが出来て何でも発信することが出来る時代になって、自分でも何か作って見せることが出来るのじゃないかと思っていたけど、インプットの段階で違いが有り過ぎてどうにも。しかも、量だけの問題でもないのだろう。どうやって使うかと考えてストック出来るかが大前提なので。まぁ、残念と言いつつ、単純に作品を楽しませてもらえるのはありがたい、それが何よりも先に来ているので満足ではあるこの頃。

あんま昔の話ばかりでも何なので、最新刊からも一つ気付いたところを挙げてみる。
 No.344◆著者、で協会に居るレオリオにクラピカから電話がかかってくるとこからの2頁。シーンが車に乗っているクラピカとミザイストムに切り替わり、窓の外の風景が飛んでいく描写を後ろに流し続ける。これはクラピカの再登場で彼の物語が加速していくのを感じさせ、そのシーンの終わりにはミザイストムを通して読者にその加速度に内心で危機感を覚えさせる、という、一種類の描写を背景に続けることで二つの感覚を読者に与えるという技術を使っている。しかも、それを白黒漫画の数コマで成し得てしまえるとこがもう天才的な気がするんだけど、こんくらい他の漫画でも普通にやってたりすんのかしら…。いや、よく考えたら私、あんま沢山の漫画読んでるわけじゃないしな。
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