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2016年06月10日16:55

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夢の小料理屋のはなし 107

今週の営業は、これにて終了させていただきます。

・・・そんなアナウンスが流れ、シャッターがガラガラと降りた僕の頭の中。
こう暑いと、もうビール飲んでひっくり返るぐらいしか思いつかない。
Yシャツも夏日のせいで汗だらけだ。
机を片付けて会社を出ると、前の道に銀色の430グロリアが停まっていた。
女将さんの車だ。
「あなた、早く乗って。」
窓が開くと、珍しくサングラスをした女将さんの笑顔が見えた。
「どうしたの?迎えに来るなんて珍しいね。」
「外を歩いてる間に私の亭主はひからびて死んじゃうんじゃないかと思ったのよ、フフフ。」
30年も前のセダンが、まるで新しいスポーツカーのような乾いた排気音を立てて西新宿の高層ビルの間の道へ滑り出す。
カーステレオから静かに流れるビル・エヴァンスの調べを聴いていると、まるでクルマの中が外とは別世界のような気になってくる。

「あのね。」
信号の手前でシフトダウンしながら、女将さんが言った。
「今日、お店開ける前にどうしても行きたいところがあったのよ。」
車は大ガードを抜け、新宿駅の方に右折する。
「ここを車で通ると、深夜食堂のオープニングみたいだね。」
「でも右に曲がったから、『美人女将の小料理屋事件簿』ってところかしら?」
「お、自分で『美人』って言っちゃうんだ?」
「だって、誰も言ってくれないもの。」

あのさぁ、そりゃ言わないですよ。
・・・美人、だけどさ。

新宿三丁目の交差点を過ぎたあたりのところの駐車場で降ろされる。
実に短いドライブであった。
女将さんが歩いて行った先は、甘味処。
「今日は、かき氷の気分だったのよ。」
「かき氷!」
「そう。女は幾つになってもかき氷を食べたいと思うものだわ。」
「汗だくの半分ひからびたような男と一緒でもかい?」
「あら、そういう男でもかき氷を食べたらきっと癒される筈よ、フフフ。」

小さなテーブルで、女将さんと向かい合わせに座る。
何か、バイトの面接にでも来たような気分だ。
お互いに今日あった話なんかしながら、しばしかき氷の登場を待つ。

それにしても、世間のご夫婦というモノは、待ち合わせなんかしながら仕事の帰りにこうして外でかき氷を食べたりするものなのだろうか?
ちょっと照れくさくはあるけれど、これはこれで新鮮である。

薄く削がれたふわふわの氷の山の上に、深紅のソースが掛けられたかき氷が二つ、テーブルに運ばれてくる。
凄いな。
本物のイチゴで作ったソースだ。
恐らく、氷も何か特別な氷だったりするのだろう。
「キャア、待ってました!」
少しだけ氷を潰すようにしながら、一口食べてみる。

むっ!

濃厚で鮮烈な苺の味が爆発し、そして、さらりと舌の上で溶けていく氷と共に、静かに余韻を残しながら消えていく。
それは、夜空いっぱいに煌めく花火のように。

そう言えば、昔お祭りの夜店で食べたねぇ、かき氷。
舌を真っ赤にしたり、真っ青にしたりしながらさ。
勿論こんな上品な味ではなかったけれど、でも、物凄く旨かった記憶がある。
あの日、誰とかき氷を楽しんだのか、急に今はっきりと思い出した。
けれども、その想い出を辿るのはやめよう。
もう、30年近くも前の話だ。
甘い想い出は氷と共に、静かに余韻を残しながら・・・今日のところは、ね。

「クー!やっぱり、ここのかき氷は美味しいわー。」
そう言いながら、まるで子供のようにかき氷を頬張り、そして満面の笑みを浮かべる女将さん。
その顔は、小料理屋で見せるいつものキリッとした顔ではなく、どこか無防備で可愛くすらある。

「なんかさ。」
「え?」
「やっぱりさ、夏って良いな。」
「フフフ、どうしたのよ、今更。」
「ん?いやさ、・・・遠い日の花火では無いのかもね、なんてね、ふと思ったのさ。」
「どうしたの?あなた、疲れているのかしら。」
そう言ってかき氷を仕上げながら上目遣いで笑う女将さん。

そんな、かき氷の夕暮れ時である。
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