「人はなんのために生きるのか」という問いに対して、やまねこは、
「人もねこも、ほかの動物だって大差はないでしょう」と思っていて、
言ってみれば、おなかがすいたら食べて、のどが渇いたら飲んで、
眠くなったら寝て、その結果として生きている、くらいにしか思ってないのですが、
あえて言うなら、やっぱり歌うために生きています。
それとも生きるために歌ってるのかな、どっちも正しいような気もしますが、
冒頭の問いはたぶんそんな答えを期待してるので、
めんどくさいときは、そう答えてしまいます。
同じようなにステージに立って歌っている人たちが、東京周辺だけでどれだけいるのだろう?
たまに考えてしまうのですが、
「歌うこと」に対してだって、その人数だけの考えがあって、
動機だってさまざまでしょう。
やまねこの場合は、その都度、
「この歌(この場合は、楽曲のこと)を聴いてほしい」という気持ちで歌っていますが、
「とにかく歌うのが好き」という人も、「歌ってる私を見て」という人も、
もちろんいていいんだと思います。人それぞれであって。
では、歌う上でなにがいちばん大切だと思っているか、というと、
やまねこの場合は、やっぱり「聴いてくださる人たち」なのです。
「聴いてほしい」と思って歌っているので。
いわゆる「アイドル」として活動してらっしゃるかたたちって、
立派だな、と思うことがよくあるのですよ。
傍から見て「正直しんどいな」と思うお客さんにも、笑顔を絶やさずに接してらっしゃって。
お客さんのほうだって、動機はさまざまで、
「歌が聴きたい」かたもいれば、歌い手さんが見たい人、
歌い手さんと接したい、という動機の人もいらっしゃるでしょう。
そういう意味では、歌い手さん本人の意志とは別に、
お客さんからはアイドル的な扱いを受けてる人もいるわけです。
見た目のいい人ならなおさら。
お客さんの中に、歌い手さんが思い通りにならずにいらだつ人がいるように、
歌い手さんの中にも、お客さんが思い通りにならないと言っていらだつ人がいます。
「こういうリアクションをしてほしい」とこと細かに書いてる人も見たことがあります。
どっちもどっちです。
もっともそれはどこでもあることなのであって、
やまねこも気をつけなくちゃ、と思うのです。
ただ、それは嫌味とか中傷で終わってしまうのがほとんどで、
(ほとんどといっても、たぶん99%以上と言ってもいいくらいのほとんどで)
それは警察だって、嫌味や中傷でうかつに動きづらいだろうな、とは思うのです。
それ以上のことが起こってしまうのは、不幸としか言いようがないです。
いろんな「ステージと客席の距離」的なことが取りざたされていますが、
誰かがすでに書いているようなことを書いてもしかたないので、
感じたことをひとつだけ。
ひとりひとりのお客さんに対して、
こころから「ありがとう」の気持ちを伝えたい、という歌い手さんもたくさんいらっしゃって、
それはけっして否定できない、ということです。
たとえそれが誤解を招く元であったとしても。
そしてじぶんもできる限りそうしていきたいと思っています。
「そうすべき」ではなく「そうであってもよい」くらいの意味で、ね。
さて、
やまねこさんが前回公式に歌ったのは、2月20日の「ねこうた祭り10」が最後でしたので、3か月ぶり。
新橋ZZでの「時の旅団祭り」、無事、歌ってまいりました。
その間には、引越しがありメイさんの誕生日があり、母の一周忌があり、
友人からご紹介いただいたお店で飛び入りで歌わせていただいちゃったりとかもあったのですが、
公式には3か月ぶりです。
「音痴」と言われ「曲は悪くないんだから上手なひとに歌ってもらえば?」と言われ、
初めてステージに立つまではずいぶん時間がかかったやまねこですが、
コンスタントに歌うようになってからは、かなり長いほうのブランクです。
緊張して失敗も多かったですし、行きにも帰りにも忘れ物しましたが、
とにかく無事に歌うことができました。
<うたった歌>
野焼き
あなたは静かに笑っている
しずめのさくら
命
Ebony Eyes(Stevie Wonderのカバーのほうね)
Dear Love
この季節の歌、
それから子から母へ、母から(父から)子への歌を中心に。
聴いてくださったみなさん、あらためてありがとうございました。
次回のLIVEは5.19(Sun.)田園都市線駒沢大学のファンランというお店で14:00から。
(さっき話に出た、飛び入りで歌わせていただいたお店)
そのあと6.30(Thu.)御茶ノ水KAKADO、7.09(Sat.)四谷天窓.comfortと続きます。
ぜひお会いできますように。今後ともよろしくお願いしますね。
近所の川では、かるがもの子たちもだいぶ大きくなりました。
メイさんも、丸くなったり、伸びたり、起きたり、メイさんらしくしています。
飢えと渇きの命ずるまま。
やっぱり、生きることにそれ以上の答えは必要ないような気もしてくるのです。
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