5月28日
同等の権利
ほとんどのAAグループが、一度ならず、規則作りに傾く時期がある。・・・・・・時間が来れば不安と衝突の波は次第に収まる。私たちは誰に対しても、アルコホリズムからの回復のチャンスを拒むことを願っていない。私たちは決して人を退ける方針をとらずに、できるだけ広く包み込みたいと願っている。
AAの伝統が生まれるまで 16,17,19-20ページ
AAは完全な自由を示してくれ、私が自分からこのAAの集まりに入ろうとしたときも、受け入れてくれた。メンバーになる条件として、順応性や、資産の有無、学歴などが問われなかったことに、私はとても感謝している。だから私は何度も自分に問いかける。同じことを他の人にも認めているだろうか。他の人と違っていて構わない自由を私は否定していないだろうか、と。今私は自分の不安や不寛容さを、信頼、忍耐、愛、受容に置き換える努力をしている。これらの力を私は自分のグループや自宅や仕事場に持ち込む。どのような場であれ、積極的な態度で向き合う努力をしている。
私には、他の人たちを判定する権利もなければ、責任もない。AAに新しくやってきた人や家族や友人が、私の心構え一つで、厄介者にも、教師にも見えてくる。昔の自分の判断の仕方を考えるとき、いかに自己欺瞞で霊的に損なわれていたかがはっきり見えてくる。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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5月28日
AAに参加しているうちに、私たちはアルコホーリクなので、人のために役立つものとしてユニークな特質を持っていることを知った。というのは、アルコホーリクでない人にとっての飲酒の経験は、アルコホーリクのそれとはかなり違うので、私たちアルコホーリクは同じ病の人に、より深い理解を持つことができるからである。AAはその意味で、とてもユニークな人の集まりと言える。なぜなら、自分たちの致命的な失敗と過ち、そしてその病気を、他の同じ問題に苦しむ人々を助けるための道具として使っているからである。共通の体験は最も深い理解をもたらす。
自分が有益な者として、ユニークな特質を持っていると認めているか?
黙想
神の臨在を意識する心を育てよう。神は私と共におられ、非常に近いところで私を常に守られ、必要な力を与えて下さる。日々の困難、試練、失敗にも関わらず、神の臨在は私を充分な者として下さる。臨在を信じることは、力と平安をもたらす。神の臨在を常に感じよう。私は神を見ることはできない。そのように造られていないから。信仰の意味はそこにある。私は神のスピリット(霊)を感じることはできる。
祈り
あなたを感じさせて下さい。そのことによって孤独と絶望から救って下さい。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ AAはいくつかのことを除いては、本当に自由にしていいところです。そのいくつかのことというのは、AAをAAたらしめているものであり、それはおろそかにしてしまうとAAがAAでなくなってしまうものです。私たちのグループは、あるとき明らかに薬物依存症でいて、アルコールの問題がない人からAAメンバーになりたい、と申し込まれたことがありました。その人は、自分は「飲酒をやめたいと思っているんだから、AAのメンバーになる資格はある」と主張したのです。
それに対して、私たちのグループの良心ではかった返答は「AAの伝統の短いものでは確かにそうかもしれません。でも、長い伝統の方では、『AAはアルコホリズムに苦しむ人すべてを含むべきである』となっているので、単に飲まないでいたくない、というだけではメンバーにはなれないのです」というものでした。このことは、迷うようなときには、伝統の長いものを参照することも大切だ、と私たちに教えてくれました。
また、献金の扱いについても、私たちは慎重であるべきだということも教えてくれています。オープンのイベントを開催するときでのノンアルコホーリクからの献金をどうするかについては、献金箱に入れる程度の小銭は受け取るというところもあります。また献金袋を回すときには特に断ってAAメンバー以外は入れないで欲しい、とお願いするところもあります。献金というのは、世俗的な現金が霊的な献金と変わるものです。この特権を誰まで認めるかは、自由にするのではなくそれなりの根拠、そして社会的に納得出来る根拠を示さなくてはならないと私も思います。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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