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2016年05月28日10:41

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僕の生きる意味

人は何のために生きるのか
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=4014253

小学生の頃。

僕の友達が担任の先生に、”人は何の為に生きているのか”という題で作文を書かされた時に、ひと言、”人は死ぬ為に生きている”とだけ書いて、後で先生に真面目に書け、とこっ酷く叱られた事があった。

でも。
こうして大人になってみると、彼の言うことは、真理を衝いているなぁと思うことがある。

人は生まれた時から、時計の時間軸に沿って、死という終わりに向かって進んでいるのだ。
どう足掻こうが、どう抗おうが、その死という終わりに向かって進む時間軸に逆らうことはできない。

いずれ人は生まれたら、死ななきゃならない。
それは遅いか早いかだけの差でしかない。

彼がどういう意味で、ひと言、そう作文に書いたのか知らないが、仏教でいう、生・老・病・死の四苦を、そのひと言に込めていたとしたら、それは或る意味真理を衝いているのだろう。

人というのは、他の動物と較べると、知性が有り、文化や社会を営む為に、どうしても、その生きて死ぬだけの時間の流れに、意味を持たせようとするし、そうしないと生きていくのが難しいのだろう。

よく、動物は子孫を残し、種を残す為に生きているが、きっと動物に問えば、そんなことは考えて居ないと答えるに違いない。
動物は、ただ本能に沿って交尾をし、結果種を残すことになっているだけで、種を残そうと考えて生きている訳でない。
動物の生き方にそういう意味を持たせようとしているのは人間の方であって、当の動物はそんなことすら考えちゃいないのだ。

つまりは僕ら人間は、自分たちの生き方だけでなく、どんな物事や現象にも意味を持たせようとする。
それが、僕ら人間の、高度な知性と文化を持った人間の性でもあり、それによって今の社会が構築されたのだ。

もし、僕らが生きる意味を考えず、ただ死までの間、生きているだけならば、このような文明や社会を作ろうとは思わなかったろう。
仏門に入り、ただ死までの間、悟りを開く為に一切の欲望を捨てる高僧には、こうした文明や社会は必要ない。

だから、現世に生きる僕たちは、やはり自分たちにとって生きる意味を探しているのだ。

人は何の為に生きるのか。
それは死ぬ為だけでない、それ以上の何かや生きる価値を探して生きているのだ。

僕にとって、生きる意味。
それはこの歳になって、漠然と見えてきたような気がする。
何故なら僕は、この歳になって、死ぬのが怖いと思うようになっている。

それは自分がまだ生きていたいという証。
きっと、それは僕に嫁が居て、2人の息子が出来たからだろう。
家族が出来たからだろう。

その家族が幸せに暮らし、嫁の笑う顔を見ていたい、息子たちがこの先、どのように成長していくのかを、出来るだけ長く見ていたい。
僕にとっての今の生きる意味は、きっとそのあたりにあるんだろう。

人はそうやって生きる意味を探して生きているのだ。
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