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2016年05月25日21:11

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《国を愛するのはいけないこと?》

国を愛することはいけないこと?(「ねずさんのひとりごと」より転載)

 先日、君が代のお話、日の丸のお話を再掲させていただきましたが、国旗や国歌を否定する人たちがいたら、「愛することは、いけないことなのですか?」と質問していただきたいのです。

 普通の日本人なら、「愛することはいけないことだ」とは言わないはずです。そして愛はすべてに通じます。人を愛すること、郷里を愛すること、世界を愛すること、地球を愛すること、万物や宇宙を愛すること・・・全部、愛です。

 そして国家とは、国民ひとりひとりの集合体です。その国家を愛せないということは、国民を愛せないということ。国民を愛せないということは、いま目の前にいる大切な人をも愛せないということです。ですから、国を愛してはいけない、国家や国旗を愛してはいけないということは、隣人も、大切な人も愛してはいけないと言っているに等しいことです。

 このような質問と対話をぶつけることで、多くの場合、おそらくその人に、国や国歌を愛してはいけないということの矛盾に気付いていただくことができようかと思います。ただ、ときどき、こうした対話がまるで通じない人がいます。そういう人には、「愛って、どういう意味ですか?」と質問してみます。

 日本人にとって、日本語の「愛」は、訓読みで「いとしい」、「めでる」、「おもひ」です。つまり日本人にとっての「愛」という字の語感(語彙)は、「愛(め)でる気持ちで、 愛(いと)しく、愛(おも)うこと」です。

 しばらく前に、「愛は地球を救う」という標語がありましたが、その意味するところは、「めでるように、いとしくおもう気持ちが、地球を救うのだ」といった意味に、多くの日本人は受け止めていようかと思います。

 ところが、実は、まったくそうは思わない人が、日本の中にいます。それが戦後に日本にやってきて、日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人々です。彼らは、日本人と同じ漢字を使いますが、彼らの語彙(漢字の持つ意味)がまるで異なります。

 「愛」という字の「久」みたいな部分が「足を引きずる」という意味で、カンムリの中にある何かに「心」惹かれたならば、つまり「後ろ髪をひかれる思いで心が寄せられ」たら、「足を引きずられ、後ろ髪をひかれるほど強く思ったら」、それを「奪ってしまえ」というのが、支那で作られた「愛」という漢字の語源です。「欲しいものがあったら奪ってしまえ」というのが、彼らにとっての「愛」です。

 私たち日本人は、なるほど漢字を輸入しました。けれど、私たち日本人には、それ以前に大和言葉によって築かれた長い歴史と高度に発達した文化がありました。だからこそ、私たちの祖先は、漢字に「訓読み」を与えたのです。ですから、「愛」という漢字に日本人が思う意味は、「愛(め)でるような気持ちで、愛(いと)しく、愛(おも)う」です。

 そもそも他人の物を奪うことが常識である文化が生んだ漢字と、独自の文化がなくて、ただ漢字を受け入れるしかなかった半島と、もともと高度に発展した文化性をを持つ日本人では、字は同じでも、同じ漢字を使っているとはいえないほどの、その漢字に持たせた語彙が異なるのです。

 私たち日本人にとって、「愛は地球を救う」は、やさしさやおもいやりといった、人として大切な心が地球を救うという意味になります。けれど、異なる文化圏の人にとっては、「上に立つ人(ウシハク人、つまり俺)の欲望が地球を救う」という意味になります。極端にいえば、日本人女性を強姦して自分の子を孕ませることが、地球を救う(日本を救う)ことになるという、驚くほど傲慢な思想になります。

 けれどもここは日本です。長い歴史と伝統と高い文化を持つ日本です。その日本において、彼らが彼らの文化をいくら強硬に主張しても、それは異端です。けれど棄民され、祖国に帰れなくなった彼らは、日本を作り変えて、自分たちの価値観の通用する国にしようとする。いっそのこと歴史ある日本を破壊して、自分たちの住み良い国として「奪ってしまおう」とする。これが、彼らの思想と行動になります。

 そういう人たちには、「国旗や国歌を愛すること、祖国を愛することは、愛がすべてに通じる素晴らしいことであるのと同様に素晴らしいことなのですよ」といくら説明しても、わかるはずもないし、わかろうともしません。

 どこの国にあっても、その国にもとからある文化を破壊して、自分たちの住み良い国として奪ってしまえ」という思想と行動は、国家反逆罪であり、テロであり、破壊活動です。だからこそ国家には国境があるのです。国家は同一の文化を持つ者たちが共同して運営しているものであって、それぞれの国の文化が異なるからこそ国境があるのです。このことは「民族」という思想とはまるで異なります。

 たとえば、中央アジアの、たとえばカザフスタンは、カザフ系(65.52%)、ロシア系(21.47%)、ウズベク系(3.04%)、ウクライナ系(1.76%)、ウイグル系(1.44%)、タタール系(1.18%)、ドイツ系(1.06%)、その他朝鮮系など(4.53%)という国家です。そして国語はカザフ語ですが、公用語はロシア語です。つまり多民族国家です。

 けれどカザフの人々は、民族や言語の違いを越えて、カザフ人としての一体感を持っています。自分たちの住むカザフを、民族や言語の違いを越えて、自分たちの力でカザフスタンを世界一住み良い国にしようと努力をしています。

 自分は、カザフに生まれたけれど、カザフを愛せない。隣のウズベキスタンの方が好きだし、そちらのほうが良いと思えば、ウズベキスタンに行けば良いのです。そのために国境があります。それが国家です。

 日本は、もとからの日本民族が人口の98.5%を占める国です。朝鮮系が0.5%、支那系が0.4%、その他0.6%です。日本が嫌で、日本を破壊することを善と考えるような人たちには、日本にいてもらう必要はないのです。なぜなら、国を愛することは、世界を、そして人類を愛することでもあるからです。

 DNAの同質性が高く、世界一古くて長い歴史と伝統を持つ日本人に、そもそも差別意識というものはありません。外国人であっても、全然差別などしません。民族差別など毛ほどもなく、むしろ民族を超えて、その人の才能や努力を高く評価し歓迎し愛するのが日本人です。だからこそ日本で、力道山や、王監督や、朝青龍が成功しています。

 一方、殺人や強盗や強姦や放火をしたり暴力を振るったり、威張り散らしたり、傲慢であったり、わがままであったり、他人の戸籍や土地を奪ったりする人がいれば、これは日本に限らず世界中、どこの国にあっても、警戒されてあたりまえです。さらにいえば、普通の人の普通の警戒を、差別だとすり替えることなど、許されるべきことではありません。

 私は、日本人は、日本にもとからある高い文化性を、もっと大事にするべきであると考えるひとりです。そして日本人は、日本にもとからある高い文化性を、家でも学校でもしっかりと子供たちに教えるべきだと考えるひとりです。また、日本に永住したり帰化して日本人になろうとする人には、最低限の日本人としてのルールと、日本人とは何かをしっかりと学んでいただかなければならないと考えるひとりです。そして、同じ考え方の人は、日本人の圧倒的多数です。




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