■「舛添知事、しっかり説明責任を果たして」 安倍首相
(朝日新聞デジタル - 05月23日 20:55)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4006767
●【道徳で政治をしたら、誰も反対できない。道徳は常に正しいから。
だから、道徳で政治をさてはいけないのだ。】
●舛添に国家権力はない。かつ、舛添は立憲主義破壊に反対している。そんな舛添をパージする国家権力者安倍晋三。
なのにバカ国民は道徳的にどうのこうので舛添を叩いている。つける薬がない。何でこんなに馬鹿なのか。
結論から言おう。
【国家は、人民が作った。人民「個人、個人」の、自然権である基本的人権(天賦人権)を国家に守らせるために、人民が国家を作った】、という、日本国憲法の土台である近代社会契約の国家の認識目的が、人民にないのだ。
即ち【政治とは、国家に、主権者人民「個人、個人」の、生命、自由、財産という、基本的人権を守らせるためのものだ】という、日本国憲法の土台である近代社会契約の政治の認識目的が、人民にないのだ。
だから、【道徳的に正しいか正しくないかという物差し】で、正しい【政治の認識目的】を持たずに、即ち日本国憲法の土台である近代社会契約の【政治の認識目的】を持たずに、政治を、判断する。
●【道徳とはなにか。】
1.道徳とは「人」の道だ。「犬、猫、猿」に対立する概念が「人」、その「人」の道が道徳。
2.基本的人権とは、「個人」の自然権。国家に対立する概念である「個人」、その「個人」の自然権が基本的人権。
3.「犬、猫、猿」に対立する概念である「人」、その「人」の道徳に従うという視点ではなく、
「国家」に対立する概念である「個人」、その「個人」の基本的人権を守るという視点で、政治を見なければ、
国家の横暴から「個人」の基本的人権は守れない。
4.「人」の道たる道徳は、基本的にすべて正しい。
道徳を説くナチスに「そうですね、おっしゃるとおりですね」と、感心していては、
ナチスの道徳政治による、国畜人間管理から、解放されない。
5.すなわち、道徳で政治をしていては、ファシズム政治を防げない。
●【脳みそが、保守も革新も、近代に達していない。無論現代になど達していない。
日本人民の脳みそが徘徊している世界は、「道徳的にどうか」である。
ナチスは、個人の基本的人権など絶対に口にしない。
だが、ナチスは道徳を常に語り、人としての道徳を説く。
道徳は常に正しい。
道徳で政治をされたら、誰も反対できない。即ち、誰も反対できないということは、
大政翼賛会になるのだ。ファシズムになるのだ。
ナチス天皇制は、個人の基本的人権ではなく、人の道を説いた。誰も反対できない。
(ウィキペディア:教育勅語
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E)
*−−−−−引用開始−−−−−−−*
12の徳目
親に孝養をつくしましょう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
人格の向上につとめましょう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
*−−−−−引用終了−−−−−−−*
良いこと言うだろう。道徳だからだ。道徳は誰が言っても基本的に常に正しいのだ。
もっとも、上の教育勅語は、肝心な点が抜けているが。
教育勅語には、頭に「朕(ちん)おもうに」がついている。
朕が思おうが思うまいが、道徳は基本的に誰が言っても常に正しいのだ。
朕が思おうが思うまいが基本的に正しいのだ。
ナチス独裁者が言っても正しいのだ。安倍晋三が言っても正しいのだ。
道徳で政治をされたら、だれも反対できないのだ。
ファシズムを防げない。
国畜である人民に、人の道を説き、
誰も反対できない正しい道徳を説き、
そして、ナチスは、返す刀で、国家に敵対する個人の基本的人権を縛り上げ、
人としての国畜道を、正しい道徳の論理で繰り返す。
「良い話だなぁ、人としての道だなぁ、」といって誰も反対できない道徳を聞かされ、
無抵抗になるように脳みそを縛り上げて
国家が戦場に人民を送るのだ。
無抵抗な国畜なればこそ、国家権力者・実質的な朕に誰が就任しようが、朕の思うがままだ。
道徳を毎日唱えながら、朕体制は国畜を管理する。
●【道徳で政治をしたら、誰も反対できない。道徳は常に正しいから。
だから、道徳で政治をさてはいけないのだ。】
政治は国民の個人個人の、生命と、自由と、財産を、「個人」に対立する概念の「国家」から、まもるものだから。
犬、猫、猿などに対立する「人」、その「人」の道徳ではなく、
国家に対立する「個人」、その「個人」の基本的人権の目録を以って、
即ち、国家を縛り上げる近代憲法を以って、
国家に対峙しなければ、国民の「個人」の基本的人権を守る政治は、実現しないのだ。
●【舛添の政治資金管理も、高額出張費も、参議員選挙、あるいはダブル選挙前の今、
「政治とカネ」という道徳の視点でメディアが追及するには理由があるのだ。】
舛添の過去の政治資金管理の問題など、都知事に立候補する前から指摘されていたことだ。
それが何で今集中的にぶり返さなければならないのか、メディアによって。
舛添の高額出張費などは、公表されているものだ。都議会がチェックなどいくらでもできる。
すればいいのだ。メディアもいくらでも追及できるのだ。それをせずに、なぜ今、蜂の巣をつついたように大騒ぎするのか。
道徳問題として取り扱うことで、バッシングすることで、道徳は常に正しい。誰も反対できない。
ひいては、舛添をこの流れで辞任に追い込み、
参議員選、都知事選を同じタイミングで選挙して、都知事選にはナチス候補を引っ張り出し、
参議員選に追い風を吹かせてやろうという見え見えの魂胆がある。
候補に挙げられていると言うナチス橋下は早々と舛添批判を始めていた。
舛添は、辞任すべきではない。立憲主義破壊を批判し、国家権力を持つ側の、ナチス政治を批判し、安倍晋三を退治に追い込むべく、ボルテージを上げていけばいいのだ。
最も必要なことは、主権者人民にとって最も必要なことは、立憲主義を破壊する安倍政権を退治することだ。
戦争法を廃棄することだ。その他国家権力を、暴力的権力、非合理な権力から、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に変えて、主権者人民の自然権たる基本的人権を守る国家権力を樹立することだ。
舛添はカジノを阻止し、オリンピックの利権を糾弾し、立憲主義を守れと言い続けろ。
高額出張費云々の件は、都議会内で議論し、解決すればいいのだ。政党助成金等の問題は、現行制度の問題と絡んでいる。たぶんに道徳的問題だ。
国家権力が、暴力的権力、非合理な権力から、、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に変わらねば、根本的解決にはならない。
【了】
【関連トピック】
道徳という情緒的価値判断は基本的に常に正しい。ナチスが道徳を語り、人民がその道徳の正しさに迎合してれば、ナチスを防げない。
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近代にデビューしないで現代にデビューできはしない。現代は近代の延長線上にある。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79849973&comment_count=0
舛添への攻撃はするのに、安倍晋三への攻撃はなぜないのか、おかしいと思わないか?安倍晋三は何百兆円、何千兆円というカネを国民から泥棒して米国に貢いでいる。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79839608
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