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2016年05月21日15:38

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「軍」がお嫌いな方は、原始時代に戻りなさい。

 近代文明の技術の少なからずは、軍用の技術として多額の開発資金が投入されて実現してきた。

大学等の研究関係にも多額の軍事費がつぎ込まれ、様々な発見や発明が行われてきた。「軍」という言葉にアレルギーを示すのは愚かなことである。
九条信仰は、個人の自由だが、度の過ぎた布教は愚かなことである。

軍がかかわらずとも、科学技術は両刃の剣だ。悪用の歯止めは、人間の理性と倫理感覚である。
九条教の呪文を唱える暇があったら、人間における規範とは何かを考え、実践すべきであろう。

平和とは脆い理念であり、半ば絵に描いた餅である。
平和をもたらしているのが、力の均衡であり、それの担保が「軍事力」であるのも忘れてはならない。戦力の放棄は、平和にはつながらない。相手に攻めこまれたら、只無残に敗北し、相手に支配されるしかない。


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 いまや現代文明の基盤であるコンピュータ(電子計算機、その礎(いしずえ)も軍事研究である。
コンピュータ開発の黎明期の代表機ENIAC(エニアック)は、アメリカ陸軍の弾道計算用として開発された。
 その後のコンピュータの発展も、軸足は民生用に移ったものの、軍用技術と深い関係性をたもったいる。
 すなわち、軍用技術にアレルギーを示す人は、原始時代に戻るべきなのだ(爆笑。

 九条教で、スマホを使っている人は、すぐにゴミ箱に放り込むべきなのだ。
通信技術もまた、軍事研究の成果と深く関わりあっている。
通信の応用バージョンであるインターネットは、軍主導の軍学共同研究として始まった。
スマホの中枢はコンピュータであり、ネットも軍事技術の賜だからだ。
居場所をしるGPSは、軍事技術そのものでもある(笑。

 軍事研究を否定したり、アレルギーを持つのは、この例からも、実に馬鹿げたことだとわかるだろう。



---リンク元記事:2016年05月21日 08:55 毎日新聞
軍事研究の否定 見直しを検討
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4003245

 日本の科学者の代表機関「日本学術会議」は、戦後堅持してきた軍事目的の研究を否定する原則の見直しに向け検討を始めた。20日の幹事会で、「安全保障と学術に関する検討委員会」の設置を決定。政府が軍事用にも民生用にも使うことができる「デュアルユース(軍民両用)」技術の研究を推進する中、「時代に合わない」との意見が出てきたためだ。第二次世界大戦で科学者が戦争に協力した反省から導かれた教訓が見直される可能性が出てきた。

 学術会議は1950年の総会で「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」とする声明を決議。その後、日本物理学会の国際会議が米軍から補助金を受けたことが問題となり、67年の総会でも改めて「軍事目的のための科学研究を行わない」との声明を出した。

 しかし、昨年度から防衛省が防衛装備品に応用できる最先端研究に資金を配分する「安全保障技術研究推進制度」を始め、大学などの研究9件が対象に選ばれた。今年度から始まった国の「第5期科学技術基本計画」でも関連技術の研究開発推進が盛り込まれた。ロボット分野などで従来の原則に従うと研究を進めにくくなるとの指摘もあり、幹事会は防衛省や文部科学省の担当者から意見を聴取し、検討委の設置を決めた。

 検討委の委員は、会長の大西隆・豊橋技術科学大学長や山極寿一・京都大学長ら15人。軍事研究の線引きや防衛省からの研究資金受領の是非などを議論し、年内に見解をまとめる。検討委は公開し、見直しに慎重な立場の会員もいるため、意見を聞く場も設ける。

 大西会長は「戦争を目的とした科学研究を行うべきでないとの考え方は堅持すべきだが、自衛のための研究までは否定されないと思う。周辺環境が変わっており、長年議論もないことはおかしい。科学者は何をやってよくて何をやってはいけないのか、議論を深める時期に来ている」と話す。【千葉紀和】

 【ことば】日本学術会議

 1949年に設立された内閣府の特別機関。理工学、生命科学、人文社会科学などの約84万人の研究者を代表し、政府への政策提言や海外の学術団体との連携などが役割。30の学術分野に分かれ、優れた業績のある科学者から選出される210人の会員と約2000人の連携会員が実務を担う。

 ◇全科学者で議論を

 日本学術会議の元原子核特別委員長で平和運動に取り組んできた小沼通二・慶応大名誉教授(85)=素粒子理論=の話 学術会議は出発点で戦争中の科学者の行動を反省し、その延長線上に軍事研究を否定する決議がある。日本は自衛のためと言いながら戦争ができる国に向かっており、軍事研究の線引きを見直すのは危険だと感じる。閉じた議論でなく科学者全員で原点を見直し、議論してほしい。

 ◇解説 戦後日本科学、転換も

 日本学術会議が半世紀ぶりに軍事研究を否定する原則の見直しに向けて検討を始めたことは、戦後の日本を支えてきた科学技術研究の歩みを一変させる転換点となる可能性がある。

 科学技術は、その使い方次第で善悪の二面性を持つ。原爆をはじめ大戦の災禍からその脅威を再認識した日本の学術界は、戦後自ら軍事研究に幅広い歯止めをかけた。当時は「過剰反応だ」と内部で反発もあったが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎らを中心に核廃絶運動や「科学者の社会的責任」の議論を深めてきた経緯がある。

 一方、こうした姿勢が時代遅れとの声も出てきた。海外では大学での軍事研究は珍しくなく、有望な研究を巨額の資金で支援し、産業振興を促す動きもある。現代社会に欠かせないインターネットや全地球測位システム(GPS)などは米国の軍事技術由来だ。高度な軍事技術を求める政府と、研究費の確保に悩む科学者とは利害が一致する。

 科学技術が発展し、軍事研究かどうかの線引きは難しさを増している。例えば現在、人間の操作を不要とする自律型人工知能(AI)兵器の開発が世界的に懸念されているが、こうしたことにつながる恐れのある研究は多い。デュアルユース技術の研究開発を進める政府の動きになし崩し的に追従するのではなく、自らの研究成果がどのように使われるのかを踏まえた主体的で透明性のある議論が求められる。【千葉紀和】
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 科学技術と軍事研究は、、昔から切り離せない関係にあった。今に始まったことではない。
採算性を問わない、軍事研究によって大きく進歩してきたのだ。

軍事研究の否定という「論理矛盾」を抱えたお題目を、後生大事に掲げてきた「日本学術会議」が、異常なだっただけである。
下らん議論などさっさと片付けて、グローバルスタンダードへと戻るべきなのだ。

 →「論理矛盾」:軍用技術と無縁の研究などほとんど存在しないからだ。
   研究のベースとなる知識や技術から、「軍」の部分を除くのは不可能、
   研究の成果は、意図しなくても必要に応じ、いくらでも軍用に転換できるからだ。
   そもそも、「軍」との切り分けが不可能なものに、「理念」をこじつけているに
   ほかならない。
   恐らく、このような指摘には、資金援助を受けないとか、積極的にかかわらない
   という反論をだして来るだろう。
   だがそれは、姑息な言い繕いに過ぎない。
     

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