■1歳女児、揺さぶられ意識不明=傷害容疑で祖母逮捕―島根県警
(時事通信社 - 05月17日 11:01)
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僕には7つ離れた妹がいる。
末っ子ということもあり、男兄弟の中の初めての女の子ということもあり、妹は家族に可愛がられて育った。
その中でも、特に祖母は妹を可愛がり、妹もおばあちゃん子に育った。
というのも、祖母と妹は僕らには計り知れない固い絆で結ばれている。
祖母は、当に自分の命を削って、妹の命を救ったのだ。
僕が小学1年生の時、妹は生まれた。
生まれた時は、泣き声も元気な赤ちゃんだった。
でも、異変はその後、すぐに起こった。
初めて母があげた母乳を妹は、まるで噴水のように、口から吐き出したのだ。
異変を知った医師は、直ぐに妹の身体を調べた。
検査の結果、妹は生まれつき胃と十二指腸が分離して生まれてきたことが分かった。
当時、生後直ぐの赤ちゃんの胃と十二指腸を繋ぐ手術と云うのは非常に難しく、妹は異常が分かってすぐに、今の病院から京都市内の府立医大付属病院に移された。
府立医大でも、妹が助かる確率は、50%だと家族に告げられた。
産婦人科に入院中の母は、そのことを知って大きなショックを受け、それ以降、あれ程沢山出ていた母乳がショックで止まってしまった。
家族の中で、祖母が妹に付き添うことになった。
家族は、文字通りバラバラになってしまった。
妹は生後2日目に胃と十二指腸を繋ぐ手術を受けた。
本当に難しい手術で、12時間を超える大手術だったが、外科の先生の懸命の治療のお蔭で、手術は何とか成功した。
だが、これからが大変だった。
最初は点滴で栄養を補給するが、それをだんだん経口に変えていく。
この病気で手術を受けた赤ちゃんは、手術が成功して、多くの赤ちゃんがこの過程が上手く行かなくて亡くなってしまうのだという。
何しろ、1万人に1人という珍しい症例で、当時は、きちんとしたマニュアルもなかったらしい。
それを聞いた祖母は、看護師さんと担当医の先生に掛け合い、この栄養補給に関しては自分にさせて欲しいと頼んだ。
祖母の熱意が伝わり、おばあちゃんがそんなに言うなら、と担当医の先生は栄養補給を祖母に任せることに同意した。
その日から祖母は、妹の状態を細かくノートに写し、スプーンで少しずつ妹の口にミルクを運び、その様子や分量をノートに書く。
当に、自身の寝食を削って、献身的に妹の看病をした。
その姿は、看護師さんも担当医の先生も目をみはるものだったらしい。
そうした看病は3ヶ月にも及んだ。
つけたノートは何冊にもなり、妹は祖母の献身的な看病によって、普通にミルクが飲めるまでに回復した。
代わりに祖母は、この3ヶ月で体重が10キロ以上落ちてしまった。
そして、妹は退院できるまで回復した。
看護師さんは、祖母がつけたノートを譲って欲しいと仰った。
その細かくつけたノートを参考にして、こうした症例の栄養補給のやり方をマニュアル化する為に譲って欲しいとのことだった。
家族はまた一つになった。
でも、それもそう長くは続かなかった。
献身的な看病が祟って、今度は祖母が腎臓を悪くして、入院してしまった。
1ヶ月後、祖母は退院することができたが、以降は病気がちになってしまい、妹が7歳の時、62歳という若さで旅立ってしまった。
でも、それまでの7年間、祖母が妹を心から可愛がり、僕たち孫を愛してくれたことは確かだ。
妹も、そんな祖母を心から愛していた。
そして、去年妹は結婚した。
式のスピーチの中で、妹は自身の病気のことに触れた。
そして、祖母への感謝も。
僕は、あの場に祖母が居たら、きっと喜んでいただろうな、と思った。
いや、きっとあの場に来ていたよ。
僕の目に映らなかっただけ。
祖母はきっと、あの世からあの場に駆けつけていたに違いない。
だって、あんなに可愛がっていた妹が結婚したんだから。
あの場に居て、きっとおめでとうって、ニコニコしながらそう言っていたに違いない。
こういうニュースを見ると、僕たちは祖父母に愛されていたことがよく分かる。
子供は、よく知っている。
自分たちが愛されているかどうか。
気持ちの部分を敏感に察知している。
子供って、そんなもんだ。
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