http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16566 (写真入り記事)
今週は、ぎっしり濃縮されたようなスケジュールでびっちりです。それに加えて、今週水曜日から、二泊三日で韓国から妻の親戚が来日することになりました。
さらに、今日のお昼に、韓国から二十数年来の友達が来日し、急に、私の教会を訪問してくれました。
これから、広尾の友人の教会を会場にして行うギャザリングの集まりに行く準備をしていました。
仕方なく、ギャザリング参加はキャンセルし、思い出話に花を咲かせました。楽しい五時間を過ごしました。
今晩は、徹夜祈祷会がありますが、韓国から来日した友人から、「お寿司でも食べに行きましょう」という誘いを受けています。
木曜日から土曜日までは、大会の舞台監督をすることになっています。朝から晩まで、ステージにはっついていなければなりませんが、木曜日と金曜日は、妻の親戚が遊びに来ています。できれば一緒に時間を過ごしたいです。
土曜日は、ニューヨークで10万人の子ども教会の牧師をしている「ビル・ウィルソン牧師」が来日し、その大会の音楽の奉仕を引き受けています。
舞台監督をしている大会を4時間半抜け出す予定です。
できるものなら、大会は、一週間に一つにし、韓国の来客は一週間に一組にしてほしいです。
よりによって、朝から晩までぎっちりスケジュールが詰まっている時に、一体どうしてスケジュールが集中するのだろう!?と思わないわけではありません。
今日は、日曜日の疲れが溜まっていたので、家でゆっくりしたいと思っていましたが、急な来客により、リラックスした楽しい時間を過ごせました。
私は、こういうのを神の導きだと確信します。
神が、私にリラックスタイムを与え、疲れをいやすために、きっと、この日、このタイミングで友人が来るようにされたと思います。しかも、まったく前触れ無しにです。
前触れがあったとしたら、「すいませんが、来週にしてもらえませんか?」といったに違いありません。
そうしたら、「もうチケットを買ってしまったんですよ!」と返事が返って来て、今回会わず終いになっていたかも知れません。
「明日のことは思い煩うな!」と聖書は語ります。しかしそれは、「何にも考えるな!」ではなく、「明日のことは明日になってから思い煩え!」というのです。
学生時代のことです。翌日、野外であるスポーツ大会が行われる予定になっていました。
体が疲れているし、気が乗りません。できれば中止になってほしいと思っていました。
そんなことを考えながら眠れない夜を過ごしました。翌朝起きたら、土砂降りの雨が降っていました。
悩まなくても、中止だったのです。昨晩の時点では悩む必要はなかったのです。そして、当日も、悩む必要はありませんでした。
そのスポーツ大会は延期になりました。
延期された日の前日、翌日の天気予報をTVで見ると、曇りのち雨で、雨の降る確立60%でした。
「よし、明日も中止だ。よしゆっくりできる!」と早めに眠りました。
朝起きてみると、雲ひとつない快晴でした。天気予報は、昨日と変わって、一日晴れマークが出ています。
早めに寝たお陰で、朝から調子が良く、スポーツ大会を大いに楽しみました。
神の導きは最善です。
その日、その時になってみなければ、いくら予定が決まっていても、それが中止になることもありますし、何が起こって、予定が変更されるかわかりません。
明日に対する備えは万全に行う必要はありますが、明日に対する心配は必要ありません。
「備え」と「心配」は違います。
ある日、翌日に、数千人の前でスピーチをする予定になっていました。緊張し、喉は渇き、気が重くて、明日の心配ばかりして、明日の備えどころではありませんでした。
そんな時、正直に神の前に心を注ぎ出して祈りました。
神は、私の心の重荷をすべて背負って下さり、明日への心配がなくなりました。
心が自由になり、ゆとりが出て来ました。明日のスピーチの準備に心を割けるようになりました。
聴衆が私のスピーチを聞いて興奮し、喜んでいる姿を思い描いていると、自由な発想ができるようになりました。緊張はしましたが、独創的なスピーチを大胆に語ることができました。
もし祈らず、明日の心配をしていたとしたら、何も益はありませんでした。
神は、一番良い導きを与えて下さいます。
神の導きを信じて、今週も、一瞬一瞬を楽しみながら歩んでいきたいと思います。
神は、導かれるお方です。安心してついていきましょう。
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