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2016年05月13日00:12

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自己の運命を担う勇気を持つ者のみが英雄である。――ヘルマン・ヘッセ

今日はお休みを利用してツーリングへ。
前々から関西を飛び出してみたいと思っていたので、いっそ本州縦断して
日本海を見に行ってやるべく思いつき日帰り爆走してまいりました。

目指すは若狭、三方五湖レインボーロード。
行きは湖西道路をひた走り、帰りは丹後街道から大原経由で戻ってくると。

いや景色も道もすげー良かったんですが、帰り道でまさかのめぐり合わせに遭遇したので、
日記はその話です。

旧帝国海軍大尉・佐久間勉という方をご存知でしょうか。
太平洋戦争以前の明治後期、海軍の第六潜水艇隊の艇長であり、
訓練中の沈没事故で命を落とした海軍さんです。

潜水艇の事故では引き上げた艇のハッチを開けると我先に逃げ出そうとしたクルーの水死体が出入り口にひしめき、空気を得るためか戸や引き出しは全て開けられ、中には乗組員同士で殺しあった痕まで残っている……それはそれは悲惨なものだそうです。

この沈没事故でもその最悪の事態を想定し、駆けつけた遺族を艇から遠ざけて上官がハッチを開けたところ。
十四名いた乗組員のうち十二名は各々の持ち場で、残る二名は破損した燃料系統のところで、
全員が職務を全うしながら息絶えていた、ということです。

指揮官の佐久間艇長は潜水艇を喪失し部下を死に追いやったことについての天皇への謝罪、
かつ「この事故によって我が国の潜水艇研究が滞ってしまうのは遺憾の極み」と
事故が起きて沈没するまでの経緯を意識の続く限り書きとどめて遺書に残していました。

当時は国内外の人々の心に相当響いたらしいです。

僕が佐久間艇長のことを知ったのは高校の時で、
倫理の時間か何かに本を紹介されて感銘を受けた……という感じだったと記憶してます。
たぶんその本は実家の僕の書架にまだあるはず
いや自身ででバラバラに散らかってたら分かりませんが
多分あのへんにあると思います←

途中で寄ったコンビニから見える
『佐久間勉艇長 生誕地』の看板を見るまでは
恥ずかしながら艇長の事など失念しておりましたが
興味を惹かれてそちらへ歩いてみるとどうも以前読んだ本のあの人らしいという感じになり
記念館の石碑を眺めていたら管理をしているおばさんに声をかけられ
(町の偉人なので近隣のお宅が持ち回りで受付等の維持管理を行っているとのこと)
話をするうちに改めてその人となりを勉強する機会に恵まれた、という感じです。

高校の時は僕も軍事関係にのめり込み
自衛隊に憧れたりしていた中二分の多い学生だったので
帝国海軍の軍人らしい最期だけを見て
すげーかっけーとアホな感想を漏らしていた程度だったわけですが

この年になって改めて艇長の最期を鑑みると
死生観というか
まずもって免れられない死がもうすぐそこに迫っていて
それまでの僅かな時間に成しえる事はなんだろうと考えた末
自らの思いを最後の最後まで書き連ねていたというその死に様には
なんか言葉にできない感情を抱いたりして

事故のあったのが明治四十三年、つまり1910年4月15日ということですから
もう106年の月日が経ってるわけですが
未だに生誕地では事故の日に顕彰式をして
舞鶴の自衛官の皆さんのみならず、海外の海軍さんがスピーチに参加されるそうです。

『英雄は死なず、ただ消え去るのみ』

という言葉にはなんかどう解釈していいのかわかんない思いでいましたが
言葉にできないまでも
今回なんか少し合点が言ったような
そんな気分になりました。

管理してはった当地のおばさん、
貴重な時間を本当にありがとうございました。
コーヒー、ごちそうさまでした。

十二時七分、先人の築きし平和を貪りつつ小事に心を惑わされる身なれども、
やすざけにようた

十二時十分なり

生きることについて悩める事に、、死について考えられる余裕のある人生に、感謝。

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