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2016年05月10日00:05

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政治散文詩 『無党派層なんていないよ。人間牧場の家畜がいるだけだ。』

■参院選へ「国民怒りの声」設立=10人擁立目指す―反安保の憲法学者
(時事通信社 - 05月09日 19:01)
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政治散文詩 『無党派層なんていないよ。人間牧場の家畜がいるだけだ。』

                         2016/05/10 アステローペ・リーフ

いみじくも、事実上崩壊した新党憲法9条のオーナー天木直人氏が「大多数の良質の保守国民」と形容する国民は、良質ではない。ただの、人間牧場の家畜だ。無党派層などいない。牧草に飼いならされて、牧場の門戸が開いていても原野に飛び出さず、人間牧場内の牧草をはんでいるだけの家畜人間だ。

それを、官治主義の自称インテリゲンチャは、
「そんなアホは政治に覚醒などしなくていい、俺達高徳のエリートが牧場を整備してやるから、悪徳経営者を、俺達高徳の官吏に取り換えるよう、すこしだけ覚醒しろ」
と、絶叫する。

だが、悲しいかな、牧草なら今のままでいい、面倒な思考は、働かす意志はない、という、ものぐさ太郎家畜人間が、今日も、牧草をはみながら、人間牧場の中で暮らしているだけだ。
何年かに一度の選挙は、暇つぶしのイベントで、解放された門戸には見向きもせず、原野に解放される意志など毛頭持たず、牧場人間としての家畜稼業に浸っている。

悪徳牧場経営者だろうと、ナチス牧場経営者だろうと、とりあえず今日の牧草を食っていられるかぎり、波風立てる行動には縁がない。
高徳の牧場管理者が立候補しようが旗を上げようが、自由な牧場の外の原野を恐れ近寄らない人間牧場の家畜人間には、牧場内の高徳の管理者への入れ替えさえ、原野を恐れて近寄らないことと同質なのだ。

なのに、明けても暮れても、高徳の管理者候補は、自由な原野を恐れて門戸の外へ出たがらない家畜人間に、
牧場の今日の牧草に慣れ親しんでいる去勢人間に、
「原野に逃走するほどの覚醒はしなくていい。少しだけ覚醒してくれればいい。いや、少しの少しだけでいいから覚醒してくれて。いや、そのほんの一滴でもいいから覚醒して、高徳の管理者候補に投票してくれ」
と、絶叫を繰返している。

馬鹿な話だ。
覚醒と縁のない牧場人間に、高徳も悪徳もへったくれもない。面倒はお断りなんだ。

一体何が間違っているのか。
少しだけ覚醒してくれというのが間違っているのだ。大きくは覚醒しないれくれと言うのが間違っているのだ。
エリートが指導管理してやるというその根性が間違っているのだ。
人間牧場の高徳の管理者も、人間牧場の悪徳の管理者も、ある意味同じなのだ。
「愚かな保守国民のままでいればいい」
「大きく覚醒する必要はない」
「おまいらの頭では政治などできないから高徳の官に支配され続けよ」
というその官治主義が間違っているのだ。右も左も。
牧場人間の脳みそを蹴っ飛ばし、開いた門戸の外の原野に飛び出す生のエネルギーに覚醒させることなくして、
「ちょっとだけ覚醒してね」などと、ご都合主義のカンフル剤もどきをいくら人間牧場の上空から撒いても、そんなもの何の効き目もない。

やるなら、人間牧場の家畜人間を根本的に覚醒させろ。
原野に解放された門戸から全員逃亡するほどの覚醒をさせろ。
高徳だろうと、悪徳だろうと、オマイラ奴隷人間は、囲われた塀の中で暮らす家畜じゃないんだ、人間なのだと、覚醒させろ!

天木直人も、小林節も、その根本思想がご都合主義なのだ。

それは、日本の全野党も、同じだ。この70年間、ただの一つの政党も、なぜ、管理者になれなかったのか、分析した政党は一つもない。
家畜人間が解放された門戸の外の原野に逃亡しない強制人間家畜であることを、それではだめだと家畜人間の脳みそを蹴っ飛ばし、解放された門戸を指さし、オマイラの行く先はあそこだ。目を覚ませと教え諭した政党は一つもない。

かくして、家畜人間は、永遠の人間牧場存続に貢献し、今がある。

【了】
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