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2016年05月09日20:14

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『正義』という酒

■小林節氏ら参院選出馬へ 「安保法廃止」で政治団体設立
(朝日新聞デジタル - 05月09日 07:14)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3982494

晴天の日中に外へ出るとじんわり背中が汗ばむ陽気になってきた。
この時期は、私の師匠に会う時期でもある。
東京に来た私を師匠は飲みに連れて行ってくれる。
しかし、悲しいかな。
私はアルコールの類をあまり受け付けない体質なのだ。
一回、子供のころにお神酒を頂いたことがあるのだが、直後に気持ち悪くなり、翌日には見事な二日酔いになった。
そのせいで師匠だけがビールなどを楽しく飲んで私はノンアルコール類をちびちび飲む。
―師匠はつまらないだろうなぁ
そんなことを考え、酒を飲もうと考えるが今だ実行できない。

『正義』とは、そんな酒に似ている。
各地に多種多様な酒があるように、人にも多種多様な意見がある。
極左から極右、懐古主義から先進主義(こういう言葉があるかどうかわからんが)、集団主義から個人主義までネットでなくても書店に行けば『週刊金曜日』から『WiLL』まで多種多様な意見がある。

正義は自分が辛い時に支えてくれる。
人間の行動は常に正しいとは限らない。
どんな権力、金や肩書があっても誰でも間違いをするし、知らないところで誰かを傷つけている。
人は、(私を含め)そんな現実を直視することが、認めることが出来ない。
だから、正義に頼る。
―正義のためだから
―世の中のためだから
―あの人の為だから
本当は違う。
単に自分を認めてもらいたい、褒めてもらいたい……そんな『承認欲求』を満たそうとするだけだ。
実際、感謝されないと分かった時に人は相手に対してどれ程の罵詈雑言を出すか……
本当に相手や世の中を持っているのなら感謝は関係ないはずなのに……

正義に依存する人もいる。
自分の正義こそ『正しい』と思っている人である。
ちょうど、「この酒が美味い!!」と言っている自称・グルメに似ている。
しかし、先に書いたように酒が多種多様なように人の意見も立場や思考の数だけ正義がある。
それを無視して相手に酒瓶を口に有無言わさず突っ込んで「飲め!!」と酒を飲まされても、相手からすればいい迷惑である。
私のような人間なら、嘔吐する可能性がある。
本来、酒にしろ正義にしろ、人を繋ぐものや守るものだったはずだ。
それが、誰かを傷つけるものでは決してなかったのに相手を傷つける道具になる。

確かに正義に酔うことは心地いいことではあるが、やりすぎれば二日酔いのように自分を傷つける。
私が師匠に会うのは、自分の正義に酔いそうな自分に冷水を頭からぶっかけてもらうためでもある。






師匠へ
冷水よりぬるめのお湯はダメですか?

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