■「私たちは幸せです」 性的少数者のパレードに5千人
(朝日新聞デジタル - 05月08日 18:58)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3982145
ジェンダーから離れたヒトたちのアリバイ宣言で、受け止めるストレートたちも、コメントを見る限り、今のところ驚くほど寛容になっているが。
このジェンダーを簡単に乗り越えてしまう価値観は、従来の社会観、国家観にジワジワと変化を起すだろう。
少なくとも、自民党が考えている「自主憲法」の「家族」や「国民」からは、すでに微妙に距離があるはず。
「私たちは幸せです」と言う主張は、普通に受けとめれば、「だから、なんだ」なので。
深読みすると、かなり政治的にも聞こえてくる(苦笑)
しかし社会が緊迫すると、迫害される恐れは、かつてあったし、これからもあるだろうから、闘いはこれからってこと。
まあ、自己主張というのは、必ず反論は織り込み済みでいくべきで。
だから、このパレードは、その意味では、良かったし、成功だったと思う(素直に拍手)
*実はワタシは、ノンケの70歳の爺なので、そんなことをするという情報すら、事前にはどこからも、知らせがなかった。
最早「爺は、人間ではない」のかなと?(笑)
しかしこれって、新しい「差別」でないのか?
で、まあ、細かなことはどうでもよくて。
多国籍企業が、利益追求で国境をこえて、国家の存在感を、多国籍企業の現地エージェントなみに、相対的に薄くさせたように。
レインボーたちの意図とは別に、その存在そのものが、ジェンダーからの離脱によって、従来の国家観に、変容を迫ることになるだろう。
なんであれ、最早「国民」ではなくて、「生産・消費の経済単位としての個人」が、「性的に自立した個人」として人権を主張しはじめるわけで。
そうなると、国家は、多国籍企業に奉仕して、結果、格差をひろげる段階から卒業して、多国籍企業から個人の人権を守る機能が求められることになる。
先進国のなかで、むかしの家族と民族をベースにした右翼的政治家が、国民の変化への不安に後押しされて、次々とうまれるのも。
国内経済の成長のために、多国籍企業に門戸をひらく政策が、格差拡大だけでなく、労働条件や環境破壊で国民の基本的人権までも脅かす結末になる不安があるからで。
不安がさらに高まれば、その国は暴力的な強権政治にならない限り、大局的に政権は火だるまになって、短命におわるだろうことは、目にみえている。
直接は関係なさそうにみえるが、この根底にジェンダー離脱を求める個人は、現に家族をベースにおく国家観や社会観に違和感を訴え、国家や社会のシステムに、生活環境レベルで変容をもとめているわけで。
これは、障がい者にやさしい交通信号ができるのと同じレベルの、社会的要求にすぎない。
しかし一方、いきなり話がデカクなるが
アメリカのご都合主義な国益優先主義が、超部族主義的な野盗テロ集団ISを産んだように。
安易にネトウヨ人気に迎合した国家主義的政策は、レイボーたちの反撃を受けそうな気がする。
今世界では、フランス農村部を背景にした「私はシャルリ」行動のように、グローバル経済の進展の恩恵からはずれた地域階層それぞれで、さまざまな価値観が、それぞれの拠点でインフレーションをおこしている。
しかもその反応の進展は、均衡ではなく。
軋轢が大きくなるところと、ユルイところがあって、それが新しい世界の不均衡と混乱につながっていく気がする。
*ちなみに、Googleのストリートビューというのは、実に恐ろしい武器で。
出不精なワタシが、まったく行ったことのない縁もゆかりもないヨーロッパのド田舎に、牧場の入り口まで案内してくれる可愛い仔犬がいることをしっている(苦笑)
つまり紛争地域を、ストリートビューという抽象度の高い情報でも、ウロウロしているだけで、慣れてくると、ヒトの営みの余裕度や街の空気までが読めてくる。
で、たかが5千の渋谷のパレードながら、案外、後で振り返ると、大きな時代の流れのエポクになるのかもしれない。
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