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2016年05月08日01:14

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色塗りに専念する作業は、

■広がる大人の塗り絵=「ストレス解消」と人気
(時事通信社 - 05月04日 17:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3977371
子どもの砂場遊びや粘土遊びと同じような、手作業による心の安定効果があるようです。

だからこの幅広い人気は、洞窟壁画を残した新石器時代初期の人類の、本源的欲求にさかのぼりえる脳と手先の共同作業に、淵源があると想像します。

しかも、こうした手作業は、かなり人間の本質的行動のひとつである創造性の発現ではないかとも、考えています。

というのは、逆説的な例になりますが、ある虐待された環境でそだった29歳の女性が、24歳から始めた塗り絵作業を通じて、いまだ繰り返されるトラウマ再現に、回数と質の面で、軽減効果が見られていることです。

大きな弊害がみられず、しかもパニックの再発とかが薄らいで、支配欲の強いヒトに自ら近づくような、自分からストレスを呼び込む悪循環が少なくなって。
それにより常時かかえていた希死念慮とかが薄らいで、従来皆無だった動植物や子どもへの関心がひろがって、情動が安定していく効果をみていると、社会的過剰ストレスからの精神的外傷・歪みに対する、アートの治療的効果は、ストレス発散以上の効果があるのではないかと思っています。

そうした方面の治療については門外漢なので、芸術をつかった治療法の詳しい研究があれば教えていただきたいのですが。


*ちなみに、ワタシの父は絵描きでしたが、周囲も認める発達障害的傾向がありました。
しかし幼少期から絵を描く作業に没頭していたそうで、幸い大人になってその作品が社会的にも受け入れられて、絵を生涯の仕事にすることができました。
そしていくつかの人生の危機を、その都度、絵に専念することで、絵の上でも独特の世界をきりひらき、乗り越えたことは、その画業の軌跡から、周囲でも認めていることです。
そして、最晩年の妻に先立たれた際の混乱も、絵を描く作業のなかで乗り越えることができ、94歳の天寿をまっとうさせたと、最後を看取った息子の私は考えています。


つまり父の、自己治療の生々しい軌跡が、その作品に感銘を与えたと、息子は受け止めています。

で、当然父親の周辺には絵を描く方が多く、それぞれ、内面の安定に、重要な契機になっているとも感じてます。
例をあげると、数が多すぎてこまるほどですが。
一般論で言えば、高名な芸術家の家族は、多く芸術に多大な献身を強いられることになり、家族関係はあまり良くありません。
しかしその関係性は、「芸術家だから」というのは理由になりませんで。
芸術家本人がかかえた関係性の障害を現しているにすぎません。

ですから、こうした専門的職業的な芸術家における、アートの自己治療的効果と作品の関係は、いずれそうした視点からの詳細な伝記的分析から、いずれ明らかになるでしょうが。
*寡聞(不勉強)にして、そうした角度から芸術家の人生と創造性の関係を分析追及した研究や評論を、私はまだ読んだことがないのですが。

アート治療の研究の進展を待っている理由もないわけで、絵を描く作業を、専門家だけの利得とするだけでなく、利用できるとこは、どんどん活用してよいはずで。
実際「上手・下手」の評価を意識しないで、個人的に「色彩と遊ぶ作業」ぐらいに考えて、塗り絵をやっていただくと、散歩や気晴らし以上の、自己治療効果に気づく方がいるはずです。

私の高校時代の部活は美術部でしたが、高齢になって、数年前から、上は旧制中学時代のOBで90歳近く、下は50歳ぐらいの幅広い年齢のへだたりがありながら、総勢50名弱で、「美術部OB展」を、毎年ひらいています。

この会の発起人は、2歳年上の先輩で、彼の弟は私とは中学時代からの親友だったので、先輩の心の深淵は、子ども心にも、重く感じていたのですが。
大企業の中堅を最後に退職した先輩は、その後重い病を経験しながらも、いまも飄々とスケッチ旅行を楽しんでいます。
先輩の深淵を知るだけに、スケッチを通じた彼の自己実現が、「癒し」などという軽いレベルでなく、どれほを彼を救ったかは、思いあまるものがあります。

で、会の世話人はというと、今は絵を描いてない、「気分派」と呼ばれる奇特な方が面倒みてくれてます。

みなさん利害を離れた、趣味を共有する仲間とはいえ、素人・玄人を問わず、それぞれの個性の違う世界を追求して、和やかに楽しんでいます。


で、私はというと、父の偏見で、60歳すぎてから、絵を描く許可をもらったのですが。
*彼はイジワルしたわけではなく、「絵で生活するのが大変だから」という理由で、私が絵を仕事にすることに反対したのですが。
明治生まれの彼の時代とは、社会も変化していたのですが、父の「絵描き」という言葉に対する思い込みと価値観は、そうした変化をうけいれないほど、根が深かったようです(苦笑)

今私は70歳ですが、この10年、自分の下手さ加減にウンザリしながらも、作業が楽しいので、絵を描くことは止められないでいます。

地方や中央の公募展に応募することも、家族の理解次第ですが、挑戦するのも、一興と思います。

それはそれで、また体験が、一層深化することは確かです。

特に最近の公募展では、定年退職後の方の活躍が、質、量ともに目覚ましく。
ある中央の大きな公募展では、数年前「85歳の新人賞」が出たくらいで、その作品のみずみずしい感性と作品の完成度は、絵を見たひとたちの感嘆をよんだものでした。


縷々書きましたが、要するに「塗り絵は、それだけで楽しく奥深く、かつそこからの発展もありえる作業」なので、「お薦めです」といいたかったのです。

*かつて絵画や彫刻・工芸といった芸術は、王侯やブルジュアの援助を得て、傑作がコレクションされてきました。

ただ、鑑賞は、「作品対個人」の関係性で、成立していました。
その点、音楽は、録音再生技術の進化によって、最近では一度で多くのヒトたちが、たのしめるようになりました。

その点で、大衆的人気は、音楽の方が集客力をもちましたが。

ここに来て、こうした塗り絵人気というのは、形・色を手作業で楽しむ単純な遊びが、ひとの創造的行為の根底にあることを、改めて考えさせてくれます。

米国科学衛生審議会のアナ・ドラスキー氏の、「子供時代を思い出しノスタルジーに浸れる効果もある」という話しは、塗り絵効果への認識が浅いように思います。

身近の90歳近い高齢者が、出来上がった塗り絵を、近くの喫茶店や歯医者の待合室に展示して、活き活きと活性化している姿は、「ノスタルジー」などという、半端なモノではありません。

多くの人が、こうした手段で、気難しい芸術家が享受する創造性の発露の一端を、気楽に経験して楽しめることは、それだけでも大きな収穫でしょう。

 



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