好きになったのは「文学男子」でした…!効果的な距離の縮め方5つ
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「好きになった」というが、「好き」とは「彼の個別性への没入」である筈で、「文学男子」なる、貧しく、空虚な、捏造されたカテゴリーを分析することでは、ない。
取説で何とかしようという節約主義は、馬鹿の一大特徴である「占い好き」と通底する。
彼女らは、名前のある誰かを好きになるのではなく、利便性の高い道具を欲しているに過ぎないのであり、それは「感情」というより「勘定」というに相応しい。
四六時中、惚れた腫れたに耽溺している、秋元康の歌詞になぞらえていうなら、「女の子は頭空っぽでいい」を生きているような女性は、こうした記事の駄法螺を真に受けるのだろう。
しかしながら、男にもそれに呼応した思考の持ち主がいるわけで、いや、これは順番が逆か。
「付かず離れず、後から付いて来るのがいい」
そんな「硬派」な発言をしていた友人がいたが、まあ、こんな類は「臆病者」と謗られるべきだ。
1980年の話だが、今でもそういう腰抜けは山ほどいて、鼻息荒く「伝統」とぬかす。
愚か者が。それは「陋習」と言うのだ。
ところで、「文学」に限ったことではないけれど、そんな大きい括りでは、間違う。
「クロコダイルストラップ、トノーケース、ローマンインデックス、ブレゲ、もしくはリーフハンド」なスタイルが好きな「時計好き」とは話が合わない気がする。
「エアマックス95最高」なんて「スニーカー好き」とも仲間になれない。
「プレミア焼酎をゲットしたんすよ」こんなのも飲み友達にはしたくない。
「私も映画大好きで、こないだも『クレヨンしんちゃん』観てきたんですよ。あと『ワンピース』」こりゃだめだ。
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