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2016年05月06日13:35

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実に不思議だと思うんですよ。改憲改憲と言ってる割には、安倍晋三は憲法を守る気は全然ない。憲法を守らない本人が、なんで改憲をいうのか。ここですよね。【考察】

■<安倍首相>憲法9条の改正に意欲 日本テレビ番組 
(毎日新聞 - 04月29日 20:34)
http://mixi.at/a6VL93O

*−−−−おことわり(2016/05/10)−−−*
※はじめに
下記、考察1〜19は、過日、mixi内の他者のつぶやきのスペースで、その流れの展開の中で述べたものです。自コメントのみ引っ越してきたので、前後の脈絡を持たせて書いたものではありません。
*−−−−−−−−−−−−−−−−−−*

【考察1】 

そういう問題があるとき、なんでもかんでも既成事実に合わせて憲法を変えろというんじゃ、悪党が初めに既成事実を作りさえすればそれが改憲に至る。それじゃ人民が国家を縛った近代憲法なんて全く不要だ。

改憲は、安倍晋三のようなナチス、自民党のようなナチスのもとでは、一言一句するわけにはいかない。


【考察2】

「自衛隊を憲法学者の7割が違憲と言っている状況」というのは、【即、既成事実に合わせて憲法を変えろ】というのではない。

【憲法に合わせて既成事実を変えろ】という世論、【憲法に合わせて既成事実のこれ以上の暴走を止めろ】という世論、そうした世論を多数含む。


【考察3】

自分では憲法を守らず、にもかかわらず改憲を主張し、解釈改憲を暴走させた安倍晋三の、憲法というものへの認識目的はなんなのか。

自分を(国家を)縛る憲法ではなく、国民を縛り上げる憲法、というのが、安倍晋三の憲法に対する認識目的だ。こんなもの改憲するわけにはいかない。

国民を縛り上げる憲法を作るという認識目的をもって、その都度あれこれ視点として採用しているという事だ。その視点が今回は「自衛隊を憲法学者の7割が違 憲と言っている状況」という視点だ。

何を認識目的とし何を視点として採用するかで、結論はどうにでも都合よく展開できる。それがナチスの長い舌の構造だ。

ナチスの長い舌で、どんなにまくし立てても、認識目的が、ナチスであれば、どんな視点をもってこようが、議論に値しない。排除あるのみだ。


【考察4】

心理学者多湖輝はこういってます。

「私がやっている心理コンサルティングで面接する患者のなかでも、重症者は必ずといっていいほど、自分を客観視できなくなってしまっているのだ。

よく「自分はき●がいではないかと悩む人は、本当のき●がいではない。」と言われるが、これはまったくそのとおりである。逆に重症の精神病患者は、きまって、自分は異常ではない。人がみんなで自分のことをき●がいあつかいするのだ。」と言う意味のことを言う。自分の中にのめり込んでしまって、外から自分を客観視できなくなった証拠である。」

安倍晋三は手鏡を用意して鏡に向かって自分に語りかけることが必要でしょう。

ただ、国家権力者が重症の精神病患者の疑いがあるというのは本当に緊急事態です。


【考察5】

国家権力者が重症の精神病患者の疑いがあるというのは本当に緊急事態です。

国家緊急事態というのは、首相が自己客観視できない重症の精神病患者の場合こそ、国家緊急事態。我が国には、これを制圧する政治勢力がない。

これは憲法の条文の問題ではない。改憲の問題ではない。選挙の問題でもない。自衛隊をどんな強大な軍隊にしても、集団的自衛権を憲法に書き込んでも、この国家緊急事態を糺せない。


【考察6】

もう、人民の津波で、安倍晋三を現行犯逮捕し、責任能力の有無を医学的に調べる必要がある。もし、責任能力があるなら、立憲主義を破棄した憲法違反の大重罪で投獄する必要がある。


【考察7】

国家権力者が憲法を守るという大前提で、憲法システムがある。

国家権力者が憲法を守るという大前提で、刑法もその他すべての法体系もまともに機能する。

国家権力者が憲法を守らない時点でもう憲法配下のすべての法体系は保障されない。保障されない刑法や保障されない裁判所で安倍晋三を処遇することは原理上不 可能。

ここに、憲法99条が意味を持って存在している。憲法99条をもって、憲法システムを破壊した国家権力者は投獄できるのです。これは、まともな憲法学者は本当は皆知ってます。言わないだけ。


【考察8】

中曽根康弘ってのは、安倍晋三と同じような立場ですが、どこが違うかっていうと、まがりなりにも立憲主義を破壊することは、知性が邪魔してできない。
実質的に骨抜きにしていても、形式的には立憲主義を壊せない。一応手続きを尊重する。

安倍晋三というのは立憲主義なんてはなから理解していないし学業は徹底してだめだったそうで、まさにそこらに多くいる国粋ウヨなんだよね。すっからかんの脳みそに、借りものの思想だけが鎮座している。

安倍晋三は、立憲主義破壊を、恥ずかしいなんてはなから思わない。

安倍晋三が自分を客観視ができない事実は、重症の精神病患者の側面を感じさせる。安倍晋三は立憲主義もdemocracyもチンプンカンプン で、全く頭にヒットしないが、借りものの国粋思想だけは情緒的に洗脳されていて鎮座している。


【考察9】

晋三は、憲法学者の9割超が戦争法は違憲だと指摘している中、無視して強行採決。今度は憲法学者の7割が自衛隊は違憲だと指摘している事実を取りあげて改憲を主張。学者の指摘をご都合主義で利用している件について。


憲法学者の9割超が戦争法は違憲だと指摘した。

安保法案「違憲」104人、「合憲」2人 憲法学者ら 2015年7月11日01時56分 (http://www.asahi.com/articles/ASH797JMJH79ULZU01W.html

日本憲法学者の9割超、安保関連法案は「違憲」 2015-06-16 13:44:53 (http://jp.sdchina.com/show/3375776.html

論理的に、憲法学者の9割超が反対しているということを根拠 にしたなら、 とてもじゃないがご都合主義で都合のいい時だけ憲法学者が反対しているなんていえない。それを言って平気なところが安倍晋三というのは壊れてる。

牢屋で教育刑を受けたら理解できる責任能力があるのか、牢屋で教育刑を受けても理解する能力のない壊れ方なのか。いずれにせよ、総理大臣なんてやらせておくのはとん でもない事。

一方で学者が反対しても、学者の9割超の意見を無視し、都合のいい時だけ学者の意見はこうだと根拠にするそのご都合主義を糾弾し、同時に、安倍晋三の責任能力無き国家権力者としての資質を糾弾する。


【考察10】

安倍晋三の主張の仕方というのは、何時も、情緒的な価値判断から、情緒的な価値判断を演繹する手法だ。情緒的な価値判断を鎖のように延々とつなげていく。

こうやりたいと思ったら、僕ちゃんの国粋情緒でやりたいものはやりたいんだ、という、 感じ。

その尻拭いは、内閣法制局長官 横畠裕介 がする。でも、政治も論理も、理由を情緒的な価値判断に還元したら、社会科学にならない。

そこで横畠は、とんでもないことをやらかした。法律の整合性という【社会科学】の問題を、社会科学の問題としてではなく、【情緒的な価値判断】で置き換えてしまった。

横畠の集団的自衛権の正当化は、社会科学の学術用語(約束定義した用語)ではなく、 本質定義した用語。その主張も、だから社会科学から逸脱して、本質的意味定義、経験的意味定義の世界。まさに、ネットウヨの手法。

ネットウヨというのは、 経験的意味定義をチェーンの様に地球の果てまでつなげる感じで自分では理屈だと思っている。理屈なんだけどそれは情緒的価値判断の羅列で∞に可能。社会科学ではない。

情緒的価値判断の羅列を論理的だと勘違いしているのは、安倍晋三に限らず、日本人民がいまだに克服できていない、近代になってない、原始人の脳みその部分。日本の学校では教えない。だからピンボケのウヨもどきがそこらじゅうに溢れてしまう。

こうした有権者はその意味で、原始人なみ。それ以下かな、純白の人間の心を失っている分。やはり、安倍晋三に代わる、社会 科学として政治を主張し、推進する首相が日本には必須。

だが、国民が、人間牧場の家畜ウヨレベルが多すぎで、このざま。志位さんとか、福島さんとか、小沢一郎さんと か、その他、岩上安身さんとか、植草一秀さんとか、日本の骨のある政治家やインテリゲンチャは、走馬灯のように現れてくる政治問題の見方、報道、のみではなく、 この根源的な根本的な、人間の脳みそ、近代の脳みそ、戦後の英米倫理学の進歩に則した国民教育をすべきだ。でないと、国民全体の認識力の水位が上がらない。明けても暮れても情緒的価値判断の羅列で、経験的意味定義による本質定義で、死ぬまで議論でもないものを議論だと勘違いして死んでいくだけ。


【考察11】

安倍晋三というのは、社会科学として憲法(近代憲法)とは何かなんていう憲法に対する認識目的は全くなくて、憲法が社会科学から晋三の経験的意味定義、情緒的価値判断の対象としての「憲法」になっている。

これはもう、恐るべきことです。 「憲法」が、社会科学でなくなってしまってる。

内閣法制局というチェック機関が、憲法の解釈を、社会科学から情緒的価値判断の世界に持って行ってしまった。社会科学としての論理的整合性は消え、ナチスの情緒的価値判断による本質定義、経験的意味定義という、無限に自在に存在し得る世界にかっぱらっていった。

司法はすでに、砂川事件裁判において最高裁判所長官田中耕太郎自身が司法の独立を破壊し、司法判断を社会科学から情緒的価値判断の世界に持ちさっている。

国民の脳みそを、真実を伝えないメディア、縛り上げた教育公務員の中立という無抵抗化、インテリゲンチャにたいするTPRと、弾圧しつづけてきた。
参考(2011年12月10日 (土)
日本破壊のTPPと国民生活破壊のTPR
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-c5e0.html

極めつけは、八百長選挙マシン導入だ。

(八百長選挙マシンは、封印しないのか!http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79699977

安倍晋三、自公政権をこのまま存続させることで「社会科学でない憲法」の目でどんどん政治が破壊されていく。

これで国会は、レスリングのホール状態になった。乗っ取られた。

そしてもともと確立していない中途半端な、「日本国 憲法未達成の政治」がさらにどんどん破壊されていく。
こんな、正しい意味で憲法でないものを憲法として投票させられること自体、とんでもない浪費。あり得 ないことだ。


【考察12】

晋三の戦争法や改憲は、日本の経済難民を「い」の一番にターゲットにする。貧しいから兵隊になる、貧しいから自衛隊に行く、生活できないから自衛隊をやめられない。この風潮はさらに大きくなる。

平和産業、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力の樹立が必須。安倍政権は打倒 しかない。



【考察13】

憲法9条に対する国民の思考は、長年のナチス権力のプロパガンダにより、洗脳状態に置かれている。

「憲法9条を持っているだけで平和になるのか」などという全くのデマトークがある。憲法9条は、行動の視点で 言えば、国家の行動の指針です。全方位平和外交をする。外交をする=話し合いのみではありません。緊密な経済のつながり、人的交流、援助、民間外交、すべて。

現政権はことに全方位平和外交を拒否し、戦争産業で儲けることや原発販売で儲けること等、独占資本の利潤の再生産のために、戦争も、原発も、利用している。

何とかして好戦的な国民になるように、原発に無抵抗な国民になるように、洗脳し、日本全土、国民すべてを汚染させるなど、およそ非人間的な、独占資本の回転運動の論理、儲かれば何でもよいと言う論理で動いている。


【考察14】

晋三を支持し、自公政権を支持し、憲法改悪を支持する日本国人民の脳みそも心も、壊れている。

多くは、あきらめ、ニヒリズム、そして、命令に服従するという図式をうけいれならされ、徹底していく。

その全体像は、映画「時計仕掛けのオレンジ」の原作を想わせるものがある。

主人公は、暴走族だ、スーパーで略奪し、麻薬入りミルクを飲んで、喧嘩、強盗に明け暮れる。

ある日ある作家の家に忍び込む。そこで暴力の限りを尽くす。 だが主人公は仲間に裏切られて逮捕される。

その刑務所で、人体実験を受けるのなら刑務所から出してくれるという。

主人公は実験を受け入れる。その実験とは暴力を自分でしたり、見たりすると、激しい身体的苦痛に襲われるという条件反射を人間に与える実験だった。

その結果主人公は暴力的な若者でなくなる。

原作はこの先がある。

今度はそんな人体実験をやる政府に反対する人たちに彼は利用されることになる。

反政府の人たちは、政府はこんな洗脳みたいなことをしているのだと世間に知らせる為に、主人公を更なる悲劇、自殺に追い込む。
(※日本ではここで政府の安倍晋三ら長年の自民党政権がその役割を果たしている。
憲法9条は自虐だとか日教組は自虐史観だとか日本国憲法は自虐だとか)

主人公は自殺しようとして窓から飛び降りるが助かって病院 で目覚める。

そのときはもう、暴力を見て気分が悪くなる条件反射はなくなっているが、今度は、政府側に、自分を自殺にまで追い込んだ者たちを殺すように命令される。

この主人公は、暴力にしろ何にしろ、自分のやることは自分の意志だと思ってやっているつもりなのだが、実際はすべて管理され、強制され、制御されている。
自分は立派な木になったオレンジだと思っているが実はコントロールする何者かがほかにいて、その何者かに自由に動かされている時計仕掛けのオレンジだということ。

自分で獲得した心というものだけが、真に自分自身の心というものである。
むりやりに、あるいは知らぬ間に吹き込まれた心というものは、自分の心とは言えない。

たとえば、威勢のいい愛国心、国粋主義というのは、それを主張する人間は自分自身のものだと思っているが実際は違う。自分の心や思考は自分のものだと思っているのはただの思い込み。
個性的な奴ほどよく似ているのは、その証左。
今の日本人は自分のやることは自分の意志でやっていると思っているが実際には誰かの徴発にのせられて思うがままに誘導されているということ。
学校の偏差値教育で差別され、徹底的に自己主張の芽を摘み取られ、社会に出たら、無理偏にげんこつに等しいような社長、上司、客筋からの圧力、理不尽の限りを受ける。
逃げ場はない!
役所も敵。

そうして、自分の心が何か別のものに支配されることを許してしまう。
何かに支配されることそのものに喜びを見いだすようになってしまう。
そうでもしなければバランスが取れない。
(※現状の日本人にはこの種が広がっている。)

この先どうなるかといえばある人々は理不尽な事でも仕事だプロ意識だ必死になってやりぬくことだと言い聞かせ、思い込まされ、
人間はいつしか人生は闘争だとか
金を稼ぐことだけが男のロマンだとか、
家族のためだけに命をささげるとか、
宮仕えの身とか、
果ては国家に命を捧げるとか、
国家権力や天皇に命を捧げるとか、
そういう心境に誘導され、自分の本当の心というものを発見できなくなっていく。

【私見】:こういう現象から脱出するために最も必要なことは政治をdemocracy(人民支配、人民主権)にする事だ。
権力を暴力的権力、非合理な権力から、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に変える。
これ以外に救済の道はない。
晋三は真逆。
立憲主義破壊、戦争法は真逆。
暴力的権力、非合理 な権力の典型。


【考察15】

憲法は変えやすいように作るものじゃ ない。変えにくいように作るもの。日 本だけがハードルが特別高いのではな い。むしろ改悪しやすい。

他国はその高いハードルでも変える必要があることとdemocracyのlevelが高いため国民 は比較的安心して変えられる。ドイツ は東西統一がらみの事情があった。

「日本国憲法改正(改悪)のハードルが高い」との 論理は本当か...?!http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79739296&comment_count=0

憲法改正:ドイツ、改正「58回」の意味http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79739556


【考察16】

日本国憲法原案は日本人が作った。さらに憲法9条は幣原喜重郎首相がマッカーサーに提案した。

【日本国憲法は日本人が原案を作っ たのだ。ヤンキー製ではない。騙されるな!】 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=77807605&comm_id=6172614


【考察17】

我が国の憲法はこの憲法違反する国家の仕事は無効だから国民は従うなと国民に忠告してくれている。憲法98条がそれだ。

すなわち国民も公務員もこの憲法に反する国家の作った法律、国家の命令など、(最高裁判所の判断も無論国家の仕事だ。)主権者人民の判断で、これは憲法に反すると判断したなら従うなといっているのだ。

特定秘密保護法もどんな法律も、それが主権(政治を最終的に決定する権利)を持つpeopleが判断して憲法に反すると思えば、ボイコットせよということ だ。最高裁判所の判決も国家の仕事だ。終審裁判所というのは、国家側の仕事としての終審だ。その判決を受け入れるかどうかはまた別の問題だ。


【考察18】

憲法改悪を多数決で決するというナチスのやり口に乗せられる前に、ぜひ、国民は理解しておくべきことがある。「democracyが多数決というのは間違い。」だということだ。

議会制民主義(間接民主制)はdemocracyそのものではない。democracyは語源からして人民 による支配だ。即ち人民支配、人民主権。多数決はdemocracyを実現する可能性のある一つの道具にすぎない。ヒトラはー多数決でdemocracy を停止した。

democracyは、語源からして人民による支配。人民支配。多数決ではない。多数決は人民支配を実現する可能性のある一つの方法に過ぎない。自分が自分でなくなることはできない。democracyがdemocracyでなくなることはできない。democracyを停止したのはdemocracyではない。

権力が暴力的権力、非合理な権力なら、何時でも、多数決を使ってdemocracyを停止できるのだ。いまがそれだ。選挙用の票集計マシンまで八百長機械が導入されている。

日本共産党はなぜ八百長選挙を追及しないのだろうか? http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79700217


【考察19】

憲法の議論というのは条文の中身だけ切り取って議論するから、どんどん、罠にはまっていく。

9条にしても、「個別的自衛権も集団的自衛権も関係ない、自衛権は自然権で一つ、だからこれを認める=武力を持つことだ=憲法に明記しろ=集団安全保障体制の国連警察活動は合憲、憲法に明記しろ」 とかいう議論は、条文だけ抜き取っているからできる議論だ。

小沢一郎氏なんかはこういう主張をする。田中秀征氏その他なんかも集団的自衛権と集団安全保障体制は違うという主張をする。これ、実は、日本共産党とも ある意味共通する。日本共産党は、今は軍隊を持たないが、将来的に、政治が民主化され、そのときもし国民の総意で軍隊をもてということになれば持つと言う考え。しかし この主張が現実問題として、安倍晋三の改憲権力とぶつかっていて、改憲議論が進まないというのは決して切り取った議論の中身が平行線で合意見込みがないゆえだけではない。議論の中身とは別に、【権力】への、警戒感というものが、あるのだ。

政治家はそれを知っているが言わない。表向き、【権力】への警戒感というものを抜きにして、条文だけ切り取った議論をしている。権力から切り離して自衛隊や軍隊や自衛権や集団安全保障体制という議論をしても、実際には【権力】と結びついた改憲勢力と【権力】と結びつかない改憲勢力の議論となっている実態に注意せよ。

権力に結びついた側(国家権力側)の議論は、ブルドーザーのように、24時間マンパワーと予算と法的な強制手段の行使権限という、国家権力の圧倒的パワーで、国家権力が議論を始めたら実現しないことには満足しない。

まるでプロレスラー(国家)、vs、子供(国民)という、圧倒的な現実の力の差で、粉々に押し切られる。それが権力と結びついた議論だ。権力側は場外で休みなく目的遂行のブルドーザーが展開しているのだ。

議論の中身だけ切り取って、公平第一主義だとかいってるのは、ぜんぜん公平でも公正でもないのだ。

政治家はそれを 知っている。だから、権力と結びついた安倍晋三の改憲議論のまな板には、乗らない。乗っても、本気で向き合わない。だがなぜか国民にはこのことを言わない。

いつまでたっても国民は議論だけ切り取ってこの条文はどうのこうのあの条文はどうのこうのと机上での文言の話ばかりする。メディアもそうする、その間にも権力はどんどん暴走を続けてきたし今も暴走している。政治的公平性とか公平第一主義とか、そんなことを強要するがこの中立とは権力に対する無抵抗の強要でしかない。

権力と結びついた側と、改憲することを前提として、条文の中身の議論すること自体、まちがいなのだ。

それは、権力が、暴力的権力、非合理な権力であるからだ。権力が暴力的権力、非合理な権力のまま、改憲を前提としたテーブルについて改憲の条文の中身を議論するなどという行為自体が、権力の暴走にすでに乗せられている。

やるべきことは、今、やるべきことは、改憲の条文の中身の議論ではない。

権力を、暴力的権力、非合理な権力から、ナチス権力から、市民的平和権力、市民的び平等権力、合理的権力に変えることだ。それ以外にない。

安倍晋三自公政権を倒すことだ。

併せて、メディアを、権力に結びつかないメディアに変えること、これは至上命題だ

権力に結びつかない言論だけが、本当の言論だ。権力に結びついた言論は、たわごとだ。

【了】


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