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2016年05月05日11:30

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小沢一郎氏が角栄ブーム語る 「貴様!このバカ野郎、と」 日刊ゲンダイDIGITAL (全文)長いので日記の形で

空前の角栄ブームである。反田中の急先鋒だった石原慎太郎が“変節”したかのような筆致で出版した「天才」までもが50万部突破の大ヒットだ。没後23年。世間はなぜ今、角栄に引かれるのか? 角栄に息子のようにかわいがられた小沢一郎・生活の党代表(73)に聞いた。
  ◇  ◇  ◇
精神的なところで日本人が不安定だからでしょう。なんとはなしに強いリーダーシップに憧れるという心理じゃないか。雇用はどんどん非正規化し、年金は掛け金だけ増えて、もらえる金額は減っている。
TPPで農林水産業はもちろんのこと医療もその一角を崩されることになる。誰もが先行きに不安を感じている。もうほとんどの人が田中先生のことは知らないはずだけど、「決断と実行」というキャッチフレーズや「今太閤」と呼ばれたように学歴もないのに(注・高等小学校卒)首相まで上り詰めたというイメージはある。
日本社会の現状を見た時に、「あの人がいたら、いろんな悩みもおかしなことも解決してくれるんじゃないだろうか」と。そんな思いで単純に引かれるんじゃないかな。
競争原理が第一の小泉・安倍政権で、政治の理念、使命、責任に対する考え方は百八十度変わってしまって、もはや今の自民党は抜け殻だ。
田中先生もそうだったけど、かつての自民党のリーダーは「等しからざる」を憂いて、富の配分の公平さを政治で実現しようとした。どんな山あいのへき地でも離島でも、一定の生活をきちんと保障する。
そんな基本の哲学があった。国民は田中先生に対して、そうした政治理念を無意識のうちに感じ取っているんだと思う。
世話好きで面倒見がよかった
石原慎太郎が角栄本「天才」を書き、かつてと逆の言動を取っていることについては「不可解っていうのか、ア然とするね」と一言。ここからは小沢だけが知る角栄の素顔、印象深いエピソード――。
  ◇  ◇  ◇
オヤジは非常にこまやかな神経の持ち主だった。若い連中や地元の陳情も全部自分で受けて、全部自分でやった。僕が覚えているのは、例えば田中邸に地方の人が来て写真を撮った時のこと。オヤジが自ら椅子を並べて「こっち座れ、あっち座れ」って。そういう類いのことまでやる人だったよ。ものすごく人情こまやかで世話好きで面倒見がよくて。だから好かれるのさ。
そんなオヤジに一度だけ、どやしあげられたことがあった。
ロッキード事件の後、僕が議運の委員長の時に国会が止まっちゃって。「田中先生を国会に呼べ」とか野党が要求したんだったかな。それで、田中先生のためと思って、野党にも少し譲る知恵を出して、「こういう案で解決してはいかがでしょうか」と伝えに行った。
そうしたら、野党の要求なんて突っぱねろと、「貴様! このバカ野郎!」って怒って、怒って。僕が「しかし、そうしないと解散ですよ。このまま選挙じゃ困っちゃうでしょう」と言うと、「うるさい。貴様、何を言うか!」ってボロクソ。オヤジは僕のことを本当に内輪に感じてくれていたから、他では言わないような感情もあらわにしたんだと思う。
僕は見ていないけど創政会(注・小沢ら田中派の中核が竹下登を後継に想定して立ち上げた派中派の勉強会)をつくった時もかなり怒ったらしいなあ。オヤジはロッキード裁判を抱えているから、派閥を維持するために後継が必要だと思った。僕らはオヤジを外すとかそういうことじゃなかったんだけど、オヤジにとってみれば面白くない。取り巻きが「クーデターだ」とか言うものだから、ますますカッカしちゃった。
騒動が落ち着いてから、僕と梶山(静六)と羽田(孜)がオヤジに呼ばれて、まあまあ、と休戦になったんだけど、それを(創政会をつくるより)先にやられていたら、創政会はなかったな。オヤジのような苦労人は、人を腹の中までは信用しないんだ。もし、僕に「おまえだけでも話しに来い」って言ってくれていれば、創政会はできなかったな。
オヤジはとにかく頭の回転が速く、あらゆる意味で優れていた。でも戦後の右肩上がりの東西冷戦時代の政治家だからね。今の国民の不安感を解消してくれ、といっても時代が違うからそのままじゃ無理。ただ、今の時代に生きていて、政治家として育っていたら、対応できただろうね。
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