mixiユーザー(id:38378433)

2016年05月03日06:58

350 view

憲法記念日:今日の一言

■中曽根元首相、「自主憲法」制定訴え 政権に努力促す
(朝日新聞デジタル - 05月02日 20:50)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3975283

【憲法記念日:今日の一言】

中曽根康弘ってのは、安倍晋三と同じような立場ですが、どこが違うかっていうと、まがりなりにも立憲主義を破壊することは、知性が邪魔してできない。実質的に骨抜きにしていても、形式的には立憲主義を壊せない。一応手続きを尊重する。

安倍晋三というのは立憲主義なんてはなから理解していないし学業は徹底してだめだったそうで、まさにそこらに多くいる国粋ウヨなんだよね。すっからかんの脳みそに、借りものの思想だけが鎮座している。

立憲主義破壊を、恥ずかしいなんてはなから思わない。自分の客観視ができないのは、重症の精神病患者の疑いのある側面と、立憲主義もdemocracyもチンプンカンプンで、全く頭にヒットしないが、借りものの国粋思想だけは情緒的に洗脳されていて鎮座していることが原因と思われる。論理的に、憲法学者の9割超が反対しているということを根拠にしたなら、とてもじゃないがご都合主義で都合のいい時だけ憲法学者が反対している何ていえない。それを言って平気なところが安倍晋三というのは壊れてる。牢屋で教育刑を受けたら理解できる責任能力があるのか、牢屋で教育刑を受けても理解する能力のない壊れ方なのか。いずれにせよ、総理大臣なんてやらせておくのはとんでもない事。

ご都合主義のほかに、もう一つ注意して見てもらいたいのは、安倍晋三の主張の仕方というのは、何時も、情緒的な価値判断から、情緒的な価値判断を演繹する手法なんです。情緒的な価値判断を、鎖のように、延々とつなげていく。こうやりたいと思ったら、僕ちゃんの国粋情緒でやりたいものはやりたいんだ、という、感じ。

その尻拭いは、内閣法制局長官 横畠 裕介 がする。でも、政治も論理も、理由を情緒的な価値判断に還元したら、社会科学にならない。そこで横畠は、社会科学ではなく情緒的な価値判断の世界を、社会科学に代わって置き換えてしまった。横畠の集団的自衛権の正当化は、社会科学の学術用語(約束定義した用語)ではなく、本質定義した用語。その主張も、だから社会科学から逸脱して、本質的意味定義、経験的意味定義の世界。まさに、ネットウヨの手法。ネットウヨというのは、経験的意味定義をチェーンの様に地球の果てまでつなげる感じで自分では理屈だと思っている。理屈なんだけどそれは情緒的価値判断の羅列で∞に可能。社会科学ではない。

これは、安倍晋三に限らず、日本人民がいまだに克服できていない、近代になってない、原始人の脳みその部分。日本の学校では教えない。だからピンボケのウヨもどきがそこらじゅうに溢れてしまう。有権者はその意味で、原始人なみ。それ以下かな。純白の人間の心を失っている分。やはり、安倍晋三に代わる、社会科学として政治を主張し、推進する首相が日本には必須。だが、国民が、人間牧場の家畜ウヨレベルが多すぎで、このざま。志位さんとか、福島さんとか、小沢一郎さんとか、その他、岩上安身さんとか、植草一秀さんとか、日本の骨のある政治家やインテリゲンチャは、走馬灯のように現れてくる政治問題の見方、報道、のみでなく、この根源的な、根本的な、人間の脳みそ、近代の脳みそ、戦後の英米倫理学の進歩に則した、国民教育をすべきだと思う。でないと、国民全体の認識力の水位が上がらない。明けても暮れても、情緒的価値判断の羅列で、経験的意味定義による本質定義で、死ぬまで議論でもないものを議論だと勘違いして死んでいくだけ。

【了】
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する