衝撃に出会った時、感情を発露させるのは自然なことだ。ただ、それをいつまでも引きずるのは愚かなことだ。成熟した人間なら、現状を把握し、理性に基づいた判断をすべきなのだ。
行方不明になったのが、4月18日。現場の惨状からすれば、生存の可能性はゼロであり、多量の土砂で、たとえ遺体があったとしても、人員をかけ重機を駆使しても発掘は極めて困難である。
余震は続き、現場は不安定な状態で、捜索隊が二次災害に合う可能性も極めて高い状況だ。
常識ある人間なら、遅くとも事故の数日後には、捜索の打ち切りを申し出るべきだったのだ。
行政側の判断は、とっくに無駄な捜索であるとしているはずだ。現場の作業者も、ナンセンスとわかりきっていても、仕方なく作業をしていたのが、本音であろう。
しかし、遺族が泣き言を喚いている以上、マスコミの批判や、それに煽られる人々の非難を考えると、ほとぼりが冷めるまで、現場を危険にさらし、無駄な費用をかけあざるえなかった。
→幸い、二次災害は起きなかったが、もし起きていたら、因業遺族は、どんな言葉を
だしたのだろう?
まあ、一番悪いのは、合理的判断をせず、記事ネタのためだけに、扇情的な行動を取るマスコミである。
早期打ち切りであっても、たんに「現場が危険なため二次災害を防ぐため、捜索はうちきった」とせいぜい二行の報道で済ませればよいだけなのだ。
大々的に、愚かな遺族を晒す必然性もない。マスコミは、本当に下衆な存在である。
→リンク元だけでなく、他者報道も、お涙頂戴的馬鹿報道。
---リンク元記事:(時事通信社 - 05月01日 22:01)
■「ショック」「あまりにも早い」=捜索打ち切りに不明学生の父―熊本・南阿蘇
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3973940
「ショックで何も言えなかった」―。熊本地震で最後の行方不明者だった大学生大和晃さん(22)の捜索打ち切りの決定を受け、父卓也さん(58)は1日夜、阿蘇市の自宅で報道陣に苦しい胸の内を明らかにした。「やっと捜索が始まったと一安心していたのに。あまりにも早い」とやり切れない心情を吐露した。
卓也さんは1日午前11時ごろ、自宅で妻と一緒に、県から捜索の打ち切りについて説明を受けた。突然の知らせですぐに言葉は出なかった。県には「『分かりました』という返事はしない」と伝えたと言う。
晃さんの行方不明が判明した4月18日以降、卓也さんらはほぼ毎日、捜索現場の阿蘇大橋近辺や南阿蘇村役場を訪問。捜索継続を訴えてきた。しかし、突然の打ち切り決定に「帰って来てほしいという一心でやってきたが、『打ち切ります』と言った以上、再開することはないだろう」と肩を落とした。
晃さんには「掛ける言葉が見つからない。(こちらも)頑張ってるから頑張れ、と声を掛けてきたのに」と無念そうに唇をかんだ。
「あの(土砂の)中にいると思うと、寒いし、暗いだろう」と息子を気遣う。「まだそこにいるのに、終わったとはいかない。毎日は無理でも行けるときには行って、声を掛けたい」と静かに話した。
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