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2016年04月30日09:53

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スペイン・ポルトガルの旅・第3部

歩いていると急にスコールになり、雹が降ってきた。慌ててバスに乗り込んだ。この雹は、
シエラ・ネバタ山脈では雪になったという。
グラナダまで80km走って19:30。ホテルでバイキングの夕食。夕食後、サクラモンテの丘に行き洞窟フラメンコショーを鑑賞した。フラメンコが誕生したのは15~16世紀のアンダルシア地方だといわれている。ユダヤ・キリスト・イスラムの3宗教が入れ替わり支配した。この地に
インド起源とされる放浪の民・ロマ族が彼ら流に歌や踊りをアレンジシしたものがフラメンコのもとになったといわれている。フラメンコの魅力は踊りだけではない。心揺さぶるカンテ=歌、ギターの調べもよかった。洞窟でのショーは音が響いて臨場感あふれるものとなった。
夜遅くなったが、希望者はアルハンブラ宮殿の夜景を見に行った。

4/21木曜日,グラナダのホテルを出発。世界遺産であるアルハンブラ宮殿を訪れた。
13世紀前半、以前からこの地にあった城塞の補修・拡張から着手された、アルハンブラ宮殿の造営は歴代のグラナダ王に引き継がれ、14世紀の後半に至ってほぼ現在の姿に整えられた。
宮殿は大きく分けて、ナスル宮殿・カルロス5世宮殿・アルカサバ・ヘネラリーフェの4つの部分から構成される。日本人の女性ガイドと共に宮殿を一周した。朝一番、人もまばらですがすがしい。アルハンブラ観光の白眉はライオンの中庭だ。王のハーレムだったので、王以外の男性は立入禁止。中庭を囲む大理石のアーケードは124本もの細い柱頭をアーチで結ぶすべての
壁面に漆喰細工がびっしりと施されている。庭の中央には、この庭の名前の由来となった12頭のライオンの噴水がある。ヘネラリーフェは14世紀初期に整備されたグラナダ王の夏の離宮。ここで有名なギター曲「アルハンブラの思い出」が作曲された。

約170km先のミハスに向かった。ここは白い家並とロバのタクシーで有名である。天気よく、
地中海の眺めが素晴らしい。ジブラルタル海峡を隔てて、遠くアフリカ大陸・モロッコが霞んで見えた。日本人びいきのオジサンがやってる屋台で「アーモンドの蜂蜜がけ」をおみやげに買った。約240km走り、セビリアで泊まりとなった。夕食前にホテル近くにある大型スーパー
マーケット「カルフール」で買い物。赤ワインと缶ビール(サグレスという銘柄)とイベリコ豚の生ハムを購入した。(何故か左足だけが売られていて右足はなかった。)

4/22金曜日,午前中はセビリア観光だ。
セビリアはセビーリャのこと。貿易都市として栄えたアンダルシア地方の中心都市で、ビゼーの「カルメン」やロッシーニの「セビリアの理髪師」の舞台となった街としても馴染み深い。世界遺産である大聖堂に行く。この地にあったイスラムのモスクを取り壊した跡に1402年から1世紀余をかけて建てられた、ゴシック様式主体の大聖堂である。
スペインで最大で、又、ヨーロッパの聖堂としてはローマのサンピエトロ寺院、ロンドンの
セントポール寺院に次ぐ、世界第3位の規模を誇る。
高さ98mのモスクのミナレットとキリスト教の鐘楼が融合したヒラルダの塔は、セビーリャの
シンボルだ。塔の先端にブロンズ製の女性像が飾られており、この像が風によってくるくる
向きを変えることから、ヒラルダ(風見鶏)の名が付けられた。

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