mixiユーザー(id:59119783)

2016年04月29日16:03

228 view

スペイン・ポルトガルの旅・第2部

最高傑作といわれる「オルガス伯の埋葬」はサントトメ教会にあった。560年に西ゴート王国
の首都となったトレドは1561年に首都がマドリッドに移るまで、政治・経済の重要な拠点と
して繁栄したが現在の人口は8万人。キリスト・ユダヤ・イスラムの3文化なくしてはこの町は語れない。カテドラル(大聖堂)の内部を見学してマドリッドに戻る。

イベリア半島のほぼ中央部に位置するマドリッドは、人口300万人を超えるスペインの首都。
マドリッドの標高は646mとヨーロッパの国々の首都の中では最も高地に位置している。
スペイン広場は1930年に、セルバンテスを記念して造られた広場。中央にはセルバンテス像がドンキホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っている。「ドンキホーテ」はセルバンテスの長編小説。主人公ドンキホーテは騎士道物語を耽読して妄想に陥り、痩馬ロシナンテに跨がり、従士サンチョパンサを伴って騎士修業に出かけ、種々の滑稽と冒険とを演ずるというもの。王宮広場も見てくる。現在王宮がある場所には、1083年にキリスト教徒がマドリッドを奪回するまでイスラム教徒の城塞があったという。

プラド美術館に向かう。午後5時を過ぎていたので閉館を心配していたが午後8時まで開いているという。スペイン王室の美術コレクション約300点を中心として1819年に開館。現在では3万点以上の絵画や彫刻を所蔵する。ルーヴル美術館・エルミタージュ美術館と並んで、世界の
「三大美術館」のひとつともいわれている。中でもエルグレコ・ベラスケス・ゴヤの三大巨匠は必見である。特にゴヤの「裸のマハ」と「着衣のマハ」は有名である。今回、2作品とも見られたが通常はどちらかが出張しており、2作品同時に見られるのは珍しいという。
ゴヤ(1746~1828)はスペインのアラゴン地方に生まれ30歳を過ぎた頃に、タペストリーの下絵を書くことから画家としての道を歩みはじめた。マハのモデルは宰相ゴドイの愛人とされる。宮廷画家として活躍したゴヤは、晩年は人間の内面を深く追求し、近代の幕開けともいえる
作品を描いた。
ベラスケス(1599~1660)はセビーリャで生まれ24歳の時にフェリペ4世によって宮廷画家として抜擢される。「ラス・メニナス(女官たち)」はプラド美術館で最も著名な作品だ。
何気ない日常の一場面を描いたこの作品には多くの謎解きが隠されている。画面中央に立つ王女と女官たち、左側に絵筆を持つ画家自身が奥の鏡に映る国王夫妻の視点から描かれている。エル・グレコ(1541~1614)はギリシャのクレタ島で生まれたギリシャ人でグレコ作品の特徴のひとつ登場する人物が小さな顔と引き伸ばされたような長い体を持っていることだ。
過剰なほど細長くデフォルメされた人体や、独特な光の表現方法により神秘的で深い精神性を感じさせる宗教画を創り出した。他にもルーベンス・リベラなどの作品がある。
日本語版のガイドブック(478頁)を18.5ユーロで買い求めた。ホテルに戻り、夕食となった。
4/20水曜日,ホテルを出発。約130km離れたラマンチャ地方へ。白い風車群を見学した。
ここでしか売ってない白ワイン「虹」を5ユーロでゲットした。ここから約280km先の世界遺産コルドバを訪ねた。14:45。途中の土産物屋で、珍しい乾燥イチジクのチョコレートコーティングしたもの「ボンボネス」を買った。コルドバはアンダルシア地方第3の都市で人口30万人。コルドバは、紀元前のローマの植民地時代からアンダルシアの中心地だった。
8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、中世にはヨーロッパイスラム世界の中心地として栄え
100万人が生活する大都市になり、モスクの数は300を超えていたという。
メスキータを見学した。メスキータとはスペイン語でモスクのこと。「円柱の森」と呼ばれるメスキータ内部。かつては1000本以上の柱があったが、現存するのは約850本。ミナレットと
呼ばれる尖塔とオレンジの中庭から花の小路に移動する。ここはユダヤ人街でスペインに今では3つしか現存していないユダヤ人教会があった。(あと2つはトレドにある。)

5 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する