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2016年04月22日07:30

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「相手の立場に立って生きよう」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16512 (写真入り記事)

「人からどう見られているだろう?」と、恐れたり、気になることはないでしょうか。

気になる理由は、自分の立場から、「どう見られているのか?」を気にすることから起こります。

喧嘩は、相手の立場を考えないで、こちらの立場から見て、「私は正しい!あなたは間違っている!」と評価し、断定することからはじまります。

相手は、「そう評価するあなたの方がおかしい!私の方が正しいんだ!」と考えますので、争いになります。

聖書は、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイの福音書7:1〜2)と語ります。

人に対して、「間違っている!」と断定すると、断定した相手からも、「間違っている!」と断定し返されるということです。

仮に、法律に触れるような間違いがある場合、法のもとで裁いてもらうことが必要です。聖書は、 「間違っている人がいても、裁いてはいけない!寛容になりなさい!」といっているのではありません。

聖書が「さばいてはいけません」と語るのは、黒白つける必要のない「グレーゾーン」に関しての内容です。

「グレーゾーン」は、お互いが違いを尊重し合い、学び合うことが大切です。

これは、相手の立場に立たないとなかなかできません。

相手の立場に立つには、まず、自分自身の心を開き、自分の心から飛び出して行き、相手の懐に飛び込み、相手の立場に立ち、感じ、考えながら、今度は、そこから「回れ右」をして、自分の方を見ながら考え、語り、行動することです。

「あの人を愛せない!」「あの人を理解できない!」「あの人の間違いを指摘し、間違いを認めさせたい!」などと考える時は、自分の立場から相手を見ているのです。自分の立場を一歩離れ、相手の立場に身を置き、共に考えてみると、「なるほど〜、こういう考え方もあるんだ!」となるものです。

ある出来事に関して、あなたが正しいかも知れませんが、相手にも正しい部分があるかも知れません。ことわざに、「盗人にも三分の理」という言葉があるようにです。

相手が間違っているかも知れません。しかし、あなたの方にも間違いがあるかも知れません。正義の味方・月光仮面のように、完全無欠の状態で相手を非難するのではなく、ゆとりを持って接するならば、対話できるようになり、理解し合い、友情が芽生え、愛し合えるようになるものです。

相手の立場に立つことのモデルは「イエス・キリスト」です。

神であることに固執しないで、人間を救うために、クリスマスに人間の姿を取ってこの地上に生まれて下さいました。

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。」(ピリピ2:6〜8)

キリストは、罪人の罪を責めるのではなく、「あるがままの姿で私のもとに来なさい」と招いて下さり、キリストのもとに来た人を受け入れ、赦し、救って下さいました。

この方との出会いが、きっと相手の立場に立って生きられるターニングポイントになると思います。

なかなか相手の立場に立てていないかも知れません。しかし、キリストはあなたの立場に立って下さっていることを信じて下さい。

私たちが生きている時代は、とても生きにくいです。「疲れた!」「休みたい!」「苦しい!」「泣きたい!」「死にたい!」「逃げ出したい!」と苦しみを持っている人もいるでしょう。

「大丈夫! 恐れるな! 私があなたと共にいる!」と言われるキリストが一緒に歩んで下さっています。

素晴らしい一日でありますように。
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