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2016年04月21日15:54

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資本の総動員としてのグローバリズム


●政治といえば、現実を維持したり改変することと解され、それに応じて政治勢力も一方の保守から他方の革新にまで到る。その政治の組織論は、保守、革新を問わず選挙だが、むろんそれだけが政治ではない。そのような政治をトータルに否定する政治があるからだ。だがそのような政治は思想に亡命している。
●安倍の背後勢力でもある日本会議と、反安倍を叫ぶSealdsは、一見、対極的なようだが、政治的には似た者同士ではないか。日本会議は、右翼の現存国家を否定する国家創造的な民族派を、Sealdsは、左翼の現存国家を否定する国家止揚的な革命派を、それぞれ敵視しているからだ。
●グローバリズムにおいては、国家は秩序の基礎とはならない。近代以前においては教会だったが、グローバリズムにおいては会社だろう。近代の左翼の革命論や右翼の民族論が、政治的現実としては困難になっているのは、近代的な国家や民族は事実上、終わりつつあるからだといえる。
●その意味では、社会科学の基盤となるのは、法学段階から政治学段階を経た後の経済学の段階も過ぎ、経営学になるだろう。
●要するに生き残りであり、サバイバルだが、パナマ文書の問題もそれに関連している。パナマ文書により、富裕層の資産隠しが問題になっているが、これもまたグローバリズムの問題と繋がる。その有限的な限界が具体化した地球においては、もう無限の生産は不可能なのだから、富裕層にしてみれば、零落しないためには手持ちを温存しなければならないということだろう。
●エルンスト・ユンガーがナショナリストからアナルクに転じたことを多くのユンガー研究は解明出来ていない。しかし、これは彼の『労働者』が軍秩序のグローバル性を把握 していたことを見れば分かる。ユンガーの労働者の世界は、近代の秩序や革命、民族を超えたものとなっている。資本主義はグローバリズムの段階において、ユンガーが言った「総動員」に、対極的に追いついたといえる。グローバリズムとは、資本主義の総動員であり、市民の会社員化だ。かつての兵士・労働者と市民の対立は、アナルクVS会社員となる。
(※以上は、Twitterからの適宜、転載。)
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