長女が高校入学するにあたり、色々と考えた。
子供の成長を早く感じる。と言うより、こちらの時間感覚が鈍くなったのだろう・・・
高校入学と言えば、自分にとっても一つの大きな転機だった。
傷つき易く、傷つけ易く、無自覚な気持ちをぶつけ合いながら
友人たちと一緒に成長した貴重な期間だった。
大学は自由過ぎた。自由過ぎて、逆に退屈だったと今になって思う。
今その同じステージに立った娘を見て、最高に楽しい高校生活を
送って欲しいと、心から願う。思えばここ数年は次女のサッカーに
掛かりきりで、長女はほったらかしになっていたが、
最近は長女と高校生活の事とかをよく話すようになった。すると嫁に
「あの子はこういう風に、あんたに話を聞いてもらうのを望んでたんやで」と言われた。
最近は反抗期でほとんど長女とは話してなかったが、幸いその時期も
終わったので、これからはもう少しコミュニケーションを取ろうと思う。
子供が大きくなってよく思い出すのは、両手を広げて抱っこを要求する
幼い日の姿だ。あの頃もう少し自分が大人だったら、もっと色々な事を
してあげられただろう。もっと沢山抱きしめてあげただろう。
しかし時は戻らない。覆水盆に返らずだ。別に何もこぼしてないが。
今の高校生はどういう感性を持つのだろうか。
既に入学前にLINEのグループが出来上がり、顔を合わせる前から
これから入学する高校の話をするこの子達は、どういう青春を送るのだろう。
こういう事を考えると、やはり自分は「旧世代」になってしまったのだなあと
つくづく思う。
私は、娘達がどうやって無料で音楽をスマホに落としているのかを知らない。
多分ストリーミングなんだろうけど、アプリを調べる気力が湧かない。必要ないから。
こうしたギャップが積み重なり、「世代」と言うのはクラスタ化して行くのだろう。
とにかく自分にとって高校生活とは、光り輝く毎日だった。
二度と取り戻せないほろ苦くも甘い思い出の時期であり、人生で一番
感受性が豊かな時期だった。親としては、そんな大切な期間を
精一杯、全力で楽しんでほしいと望むのみ・・・
早速ニュージーランドに留学したいとホザいてきたが、即答でOKした。
感受性豊かな時期に得る経験は、後になったら金では買えない。
親として出来る事は側面援助のみ。どういう三年間にするかは、後は本人次第だ。
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