デーブ・スペクター、日清CM炎上…ケトラーいれば
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色々なことに対して批判する者の特徴として
1 短絡的または感情的
2 主張内容に合理性または客観性が無い
が挙げられる。
つまり、自身の主張があたかも客観的事実(常識)だと思い込んでいるということだ。
主観がそう簡単に客観的事実になることはないし、客観的事実はそう簡単に得られるものでもない。
故に、批判者の主張を分析してみると大体が上記1と2に当てはまる。
本件に限っても、本来視聴者は自身が気に入らなければCMを見ない、商品を買わない等、所謂「関わらない」という選択肢があるにも関わらず、いきなり直接批判をする。
これは理論的な手順としては妥当ではない。
確かに現在はかつてに比べ許容性の低下が認められるかもしれない。
しかし、私は同時に批判的意見の質が低いという現状もあると考える。
批判すること自体が問題なのではなく、その質が低いことが問題なのだ。
内容もそうだが、言い方もそうだ。
そういった質を高めることで最終的に他者に与える影響力(説得力)も増す。
だから、許容性を高める努力と批判の質を高める努力の双方を行うべきであると考える。
そうすることで、他者言動を一度受け止め、自身で分析・理解したうえで合理的根拠を添えて賛否する。
これこそが賛否両論入り乱れ議論するうえでの大前提である。
そういった要素のない単なる批判は専ら恣意的・感情的な文句にすぎず、単なる自己満足(主観)の域を出ることはない。
故に、企業側も批判やクレームを受ける際には、批判者に対し合理的な根拠、少なくとも明確な根拠があるか否か、ある場合にはその根拠内容をしっかり聞いたうえで、その意見を採用するか否かを決めるべきである。
批判が怖いから言いなりになるのであるならば、それは「怒られるかもしれいから何もしないことが最善策である」という子供染みた消極的な姿勢であり、それは企業としての姿勢としては妥当ではないと考える。
同時に、そういった姿勢に進歩や進化は望めない。
企業に限らず個人も自身の言動が違法行為でなければむしろ積極的に行うべきだ。
もっとも、自身の行いが違法か否かを十分よく検討する必要があるし、それを行った結果どういうことになるかのシュミレーションをしなければいけないということは言うまでもない。
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