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2016年04月12日11:29

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TV業界や宣伝業界は、電波芸人を使って、一般人を批判(非難)

 日清のCMや、ベッキー騒動、下衆乙武の五股乱行は、『人として護るべき行動理念』すなわち基本的な倫理基準から大きく逸脱しているから批判されているのだ。
 間違えていけないのは、共通認識として倫理感が根底にあり、それの補助として法体制があるということだ。すなわち、法に触れなければ何をしても良い、ということではないのだ。

 この記事でも取り上げらている電波芸人どもは、一般大衆からの『当たり前すぎる批判』を小理屈・屁理屈で『寛容性に欠ける下らん行為』と決めつけ、『お前らは黙っていろ』と非難している。実におかしなことだ。
 これらの電波芸人どもは、単に名が売れただけで、見識や真の実力があるわけではない。それを勘違いして、自分が大衆よりも遥かに優れた人物であると過信している雰囲気もある。確かに、業界の意を取るのには長けているようで、将来的なギャラのために「大衆を制御」しようとしているようだ(笑。  →こういう発言をしてくれという、直接依頼があった可能性も高い。


 ネットが普及する前は、一般大衆の声は世に伝わることは殆ど無かった。マスコミによる一方通行の情報流通しかなかったからだ。 で、情報操作はやりたい放題、一般大衆を牛耳っていたのである。

 インターネットの普及と拡大は約20年をかけて進行してきた。最近のスマホの普及はそれの拍車をかけ、今や誰もがネットに繋がぅていると言っても過言ではないほどだ。とっくに、情報統制など困難な状態になっている。

 情報統制が可能だった時代は、もう戻ってこない。マスコミ、ことにテレビ業界が衰退してきているのは、過去の栄光にすがり、ネット社会への適応展開がはかれていないこともある。

 素朴な倫理観とほんものの芸を探求すると、成功が見えるかもしれないが(笑。
 
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 ネットに繋がる大衆は、 愚かな人々もいるが、見識ある人々が無数に含まれていることをわすれてはならない。
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--リンク元記事:2016年04月12日 08:25 ITmedia ビジネスオンライン
ガリガリ君とカップヌードル「攻めたCM」の命運を分けたものはなにか
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=3942550

 先週、2つのCMがネット上で大きな話題となった。

【拡大画像や他の画像】

 1つは、「ガリガリ君」の値上げ謝罪CM。25年ぶりに価格が10円上がるということで、製造元の赤城乳業の井上秀樹会長をはじめ社員が工場前にずらりと並んで頭をさげたこのCMは、4月1日、2日とテレビで放映されたほかネットでも公開され、「25年もよくがんばった」などと称賛の声が寄せられたのだ。その反響は、中国のネットユーザーにまで及び、「10円の値上げでなんでこんなに頭を下げるの?」「これが日本の謝罪文化か」なんて驚きをもって語られているという。

 そんな高評価CMとは対照的に、批判の嵐にさらされたのが「日清カップヌードル」のCMだ。

 ビートたけしさんが学長、小林幸子さん、ムツゴロウさん、新垣隆さん、そして矢口真里さんというパンチのきいた面々が教授を務める「OBAKA's UNIVERSITY」というシリーズを先月30日から放映していたのだが、クレームが多く寄せられ今月7日に中止を発表した。

 「危機管理の権威」に扮した矢口さんが生徒たちの前で「二兎を追うもの、一途をも得ず」と熱弁をふるっていたことや、新垣さんが二人羽織でピアノの指導をしていたことなどが、一部視聴者の逆鱗に触れ、「不倫や虚偽を擁護しているように見える」という意見が殺到したんだとか。

 かたや大絶賛、かたや批判の嵐。そう聞くと、2つのCMは天と地ほどの違いがあるように思うかもしれないが、実は基本的なスタンスはよく似ている。

 それはともに「攻めたCM」だったという点だ。

●「値上げ」を逆手にとって、消費者が楽しめる「小ネタ」に

 しおらしく頭を下げる「ガリガリ君」のCMと、「攻め」という言葉と結びつかないかもしれないが、企業広報の常識的にはかなりぶっ飛んでいる。「値上げ」というネガティブな情報発信はなるべく目立たぬよう、しれっと行うというのが鉄則とされているからだ。

 この「攻め」の姿勢は、「日本一遊び心のある会社」と評される赤城乳業の企業文化のようなものだ。近年話題になった「ガリガリ君コンポタージュ味」「ガリガリ君ナポリタン味」など攻めた商品開発も、もともとは流通関係者から「最近、冒険していないんじゃない?」という挑発を受けて行われた。営業から反対意見も出たが、「普通のことをやっていたらウチの会社でなくなる」と社長がGOサインを出したというから、「あそびましょ。」のコーポレートスロガーンは伊達ではない。

 だが、そういうスタンスもさることながら、あのCMに「攻め」を感じるのは、「値上げ」というのを逆手にとって、消費者が楽しめる「小ネタ」となっていることだ。

 井上会長をはじめ社員のみなさんは神妙な面持ちで頭を下げているにもかかわらず、どこかユーモラスな印象を受けてしまうのは、バックに流れる故・高田渡さんのフォークソング「値上げ」によるところが大きい。

 ニクソン・ショックのあった1971年にリリースされたこの曲は、「値上げはぜんぜん考えぬ」という威勢のいい歌い出しが、やがて「年内」「当分」「今のところ」と旗色が悪くなり、「検討中」「値上げもやむを得ぬ」とトーンダウンし、しまいには「値上げに踏み切ろう」となる。価格高騰へと突き進む世相をチクリと皮肉ったフォークソングなのだ。

 普通の企業なら、「ふざけていると思われるかも」というリスクを想定し、謝罪のバックなどには流さない。しかし、赤城乳業は「気持ちを真っ直ぐに表現しています」と胸を張る。「小ネタ」に対するこだわりというか、真剣さがハンパではないのだ。

●命運が分かれてしまった理由

 一方、「カップヌードル」のCMがかなり攻めているというのは今さら説明もないだろう。「いいぞ、もっとやれ」のキャッチコピーのもと、梅宮辰夫さんにセーラームーン風コスプレをさせたり、古谷一行さんに「犬神家の一族」のパロディをやらせたり、「くだらない」ものを真剣につくるというアグレッシブさは、「ガリガリ君」に負けていない。今回のCMもそのスタンスはまったくブレていない。

 では、ともに「攻めたCM」だったにもかかわらず、なぜ「称賛」と「放映中止」と命運が分かれてしまったのだろうか。

 ネット上で大合唱される「矢口真里なんか起用するからだ」という怒りの声はさておき、2つのCMの違いはなにかと考えていくと、そこには「作為」という言葉が浮かび上がる。

 「ガリガリ君」の謝罪CMはいたってシンプルだ。フォークソングは流れているものの、黙って頭を下げる社員のみなさんの姿からは、「笑ってください」というギラギラした「作為」は一切感じない。これは、「ガリガリ君」というブランドの基本姿勢が大きく関わっている。

 実は「ガリガリ君」には、「ブランディング」という言葉にはお約束のようにわいて出てくる企業や製品の公式アカウントがない。情報発信はあくまでプレスリリースという昔ながらの手法にこだわっているのだ。その理由を、マーケティング部の萩原史雄次長が2014年5月8日の『日本経済新聞』で以下のように語っている。

 拡散させようとすればするほど、わざとらしくなる。

 あの謝罪CMに多くの人が好感を抱くのもこれが理由だ。「おもしろいでしょ、みなさん拡散してくださいね」という企業側の「作為」を感じないので、「ガリガリ君の会社っておもしろいな」と素直に受け取ることができるのだ。

●日清のCMは失敗だったのか

 これと対照的に「作為」を隠さないのが、「カップヌードル」だ。日清食品ホールディングスの安藤宏基社長・CEOは2015年11月4日の『日経トレンディ』で、自社のブランドマネージャーには、「話題が広がるシナリオが書けるセンス」を求めているとして、その理由をこのように語っている。

 重視しているのはSNSでの反応です。ここで話題になれば、テレビCMを打っていたときよりも、売れ行きが3〜5倍跳ね上がります。昨年の「トムヤムクンヌードル」のように、生産が追い付かなくなるほどです。

 これを踏まえれば、矢口さんの起用も納得ではないだろうか。彼女が「しくじり先生」的な教訓を語れば、厳しい批判も含めて「話題が広がる」のは目に見えているからだ。

 だが、このような「拡散してください」という企業側の「作為」が、ベッキーさんの清楚風ファッションや、乙武さんの政治家風謝罪コメントと同様の、「わざとらしさ」に対する嫌悪感を引き起こしてしまった可能性は否めない。これは「わざとらしさ」を極力排除する「ガリガリ君」と180度真逆の反応である。

 そう聞くと、「カップヌードル」のCMにダメ出しをしているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。どちらが良い悪いという話ではなく、企業が「話題」を生み出そうとしたとき、「作為」をどう扱うのかによって結末が違ってくるということを申し上げたいのだ。

 もっと言ってしまえば、今回の「カップヌードル」のCMはある意味で「成功」したような気もしている。確かにCM自体は放映中止に追い込まれはしたが、「目的」は十分達成しているからだ。

 すでに閉鎖されてしまったが、特設サイトにはこのCMの企画意図が掲載されていた。そこには、「SNSが発達した現代は失敗すれば叩かれる、そして一度転落すると、なかなか再起を許さない非寛容な時代」だとして、「私たちに必要なのは、相手の失敗を許容するという態度、寛容の精神」だと記されていた。

●問題提起は成功!?

 この企画意図どおりの「問題提起」がなされている。CM休止発表後、ネット上では「確かに最近の批判はゆきすぎている」という意見が出てきた。「日本人の許容度が低下している」なんて言い出す茂木健一郎さんや、「あれだけ韓国のネット社会を見て嫌だって言っていたのに、今日本がそうなってきている」というお笑い芸人の小藪千豊さんなど著名人の「ネット私刑」に対する批判にも注目が集まっている。

 CM休止に追いやられていなければ、ここまで大きな「話題」になったとは思えない。テレビCMとしては確かに「失敗」だったのかもしれない。だが、「話題の広がるシナリオ」としてはかなりいいセンだったのではないか。

(窪田順生)
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この記事をかいた、業界人気取りの窪田順生も、はっきり言ってアホである。

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