女性専用車両は差別なのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=3935042
差別の定義は以下のとおりである。
1 ある基準に基づいて差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
つまり、文字通り「差を設けて別けること」であるから、明らかに「差別」だ。
一方で、「差別」という言葉を耳にすると2の後半をイメージする方が多いと思うが、この言葉だけを忠実に捉えてしまうと「差別」という言葉を理解するには不十分である。
何故なら、「差別」とは一方を低く取り扱うだけでなく、一方を高く取り扱うことも同様だからだ。
一方を低く(高く)取扱えば、必ず他方は高く(低く)取扱われることになる。
つまり、片方のみを有利にも不利にも扱うことで必ずもう片方はその逆を辿ることになるのだ。
とすると、「差別」において何が問題であるかと言えば、「差別そのものが問題」なのではなくその根拠、つまり「正当なものであるか不当であるかが問題」なのである。
私は以前にも女性専用車両については「差別である」、「男女平等および犯罪防止の観点からすれば、女性専用車両を設ける前提ならば男性専用車両も設けるべきだ」とする趣旨の日記を書いたが、今回も同様だ。
男女平等・犯罪防止(特に性犯罪)の観点からすれば、目的は正当でもその手段として「性別のみを理由に女性だけを差別化すること」は目的を達成することにはならない。
性犯罪は圧倒的に女性が被害者、男性が加害者となるケースが多いが、それを悪用し性犯罪における冤罪事件(顕在化していない事件や未遂を含む)も決して少なくない。
とすれば、男性も差別化し男性専用車両を設けなくては「男女平等・犯罪防止」という目的を達成することはできない。
上記のことから、女性専用車両のみを設置し続けることは「不当」であると判断せざるを得ない。
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