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2016年04月06日17:19

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趣旨による

■産め産め言うけれど… 山口智子さんの「産まない人生」
(朝日新聞デジタル - 04月06日 11:43)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3933613





この記事のサブタイトルは「産むのは誰のためなのか」であるが、「子供を産む」ということが一体何を指しているのか(言い換えれば、何を実現するために子供を産むのか)ということであると思う。

これが、「子供が欲しい者(将来の両親)のため」だけであれば、解釈はシンプルだ。

産みたい人は産めばいいし産みたくない人は産む必要はない。

それは「子供を産むこと」が個人の基本的人権に委ねられるものであって完全に自由であるからだ。

しかし、現実的に見ても、子供を産み育てることは子どもの親が肉体的・精神的・経済的・時間的にそれなりの代償を支払うものだ。

勿論、得られるものも多いが、このジャンルにおいてはそれに比べて代償の方がが目立つ。

法的にも「子供を産むことは義務ではない」から、「子供を産むべき(産まなければならない)」とする主張には少なくとも法的根拠は強制力は存在しない。

故に、当事者以外の者が安易に口を出し介入するべきではない。

しかし、「子供を産むこと」広い意味で「誰のため(何の目的のために子供を産むのか)」であるならば、その目的はやはり「国家の存亡のため」ではなかろうか。

国家の存亡のためということは民族的(遺伝子的)に日本人を絶やさない、つまり子孫繁栄のためと言えるし、国民を増やし税収を増やすことも国家の存亡に関わることと言える。

この場合、国家が子供を産むということを強制するには基本的人権の制約や倫理的観点から実施は容易ではないが、そういう風潮(流れ)に持っていくことは可能であると考える。

故に、様々な思惑や利害関係が見え隠れすることになるから解釈は難しくなる。
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