mixiユーザー(id:20401579)

2016年04月06日00:09

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どこの馬の骨ともわからない古墳を拝む天皇

以下、転載。

wikiでこんな記述を見つけたんだけど…

>>四条ミサンザイ古墳(奈良県橿原市畝傍町)

>>別名「畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ)」。考古名として「山本ミサンザイ古墳」「神武田古墳」などがある。元は神武田と呼ばれた場所にあった小さな塚を、幕末期からの調査によって初代神武天皇陵に比定した後、大正期にかけて現在の規模まで改修して陵墓としたもの。第2代綏靖天皇陵とともに、藤原京建設の際に削平された四条古墳群との関係性が指摘されている[1](http://www.kashikoken.jp/event/atrium/2010/shijyo-site.pdf)。

ミサンザイ古墳 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%A4%E5%8F%A4%E5%A2%B3

>>四条古墳群(しじょうこふんぐん)は、奈良県橿原市四条町一帯にある古墳群。

2010年(平成22年)時点で12基が確認されているが[1]、いずれも後世に破壊され、地上に墳丘としては存在しない埋没古墳である。

>>概要[編集]

>>奈良盆地南部、畝傍山北東の四条町交差点付近に位置し、古墳時代中期前半から後期前半(5世紀前半から6世紀中頃)にかけて営まれた古墳群である[1]。一帯は藤原京の域内にあたり、7世紀末の藤原京造営に伴い、墳丘が削平されて周濠も埋め立てられたとされる[1]。

>>1987年(昭和62年)の第1次発掘調査において初めて古墳が見つかり(1号墳)、その後大和高田バイパスの建設に伴う調査の必要もあって計31次の調査が行われた結果、2010年(平成22年)時点で12基の古墳が発見されている。墳丘削平のため古墳の主体部分は明らかでないが、周濠からは濠の埋め立てで水分を含んだことによって多くの木製品が良好な保存状態で見つかっている[2]。特に1号墳では、造出付き方墳としての全容が明らかとなり、多数の埴輪・木製品が確認されている[1]。調査では、古墳のほかに古墳時代の集落跡も発見され、それらは古墳と併せて「四条遺跡」と総称される[1]。

>>古墳群付近には初代神武天皇陵(ミサンザイ)・第2代綏靖天皇陵(塚山)があり、これらと古墳群との関連性も指摘されている[1]。

四条古墳群 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9D%A1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

もし、神武天皇陵(四条ミサンザイ古墳)が四条古墳群のひとつだったとしたら、持統天皇って、かなり罰当たりなことをしたんだな

最重要なご先祖様の古墳と関連のある古墳群を破壊しちゃったんだもの

それとも、藤原京着工時は、四条ミサンザイ古墳は神武天皇陵と見なされていなかったとか?

考古学者による詳細な調査をきぼんぬ

宮内庁「天皇陵の発掘調査はダメ―!」

天皇「…(私自身は発掘して日本史&自身のルーツ解明につなげてほしいんだけど、下手に自分の考えを表明すると各方面に波及するからなあ…)」


■両陛下、神武天皇陵に参拝=奈良
(時事通信社 - 04月03日 16:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3929267
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