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2016年03月31日16:14

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美的爆弾誌『メインストリーム』(芸術誌系弾圧機構)3号の蜂起

 芸術誌系弾圧機構『メインストリーム』は2011年9月に創刊され、2012年3月に2号が出、この2016年3月に4年ぶりに3号が刊行された。その間に、『メインストリーム』の別冊として『L'art pour l'art』が、その号外を含めて何度か出されているが、いうまでもなくそれらは別働隊であり、あくまでも本隊は『メインストリーム』の方にある。
 3号は「活動報告」として、媒体そのものが新たに構成されているが、それについては冒頭に、その間の経過が記されている。ちなみに同誌の編集者は、九州ファシスト我々団に属する東野大地と山本桜子であり、その桜子による活動報告によれば、創刊号は、多くの筆者の原稿を載せた同人誌的性格が強く、続く2号はコンセプトを「弾圧」として原稿を集めた。創刊号と2号には私も寄稿しているが、批評ではなく弾圧というところがポイントであり、よくあるような批評ではなく、ファシスト的な弾圧というところに、あえていえば『メインストリーム』の、これまでの批評の意識に対する批判があるといえるだろう。その意味でいえば『メインストリーム』という名称そのものもそうだろう。芸術系では、異端的批評というようなものが好まれるが、このような、あえていえば澁澤龍彦的な観点の無効性に対して、『メインストリーム』は、正統的弾圧をいう。例えばトリスタン・ツァラの信奉的研究者でもあるダダイストの山本桜子は、同誌で、「ダダに正統も亜流もあるものか、すべてが許されるのだ」という、よくある観点に真っ向から批判を加え、そのような立場は、徹底的に粉砕すると発言していることが該当しよう。これは、かつて1970年代に既存のアナキズムを全否定した私が、自称アナキストは全て粉砕すると論じていたことを思い出させてくれたが、それはともあれ、このような視点は、何かを意識的に追求する場合には不可欠な党的視点といえよう。
 話を戻せば、弾圧概念をベースとした2号だったが、しかし、山本桜子によれば、「弾圧という概念を緻密に提示し得ず、執筆陣による概念の共有が困難であった」ため、創刊号の問題点を乗り越えることが出来なかったのだった。そこで、3号は「編集部とその機関誌」という位置づけで制作されることとなったが、機関誌というのは重要だと思う。というのは、雑誌媒体といえば、販路の在り方はともかく、編集や制作のコンセプトとしては、一方の商業誌と他方の同人誌があるが、これは世間的な有名と無名の違いがあるとはいえ、同じ構造の産物でもある。分かりやすくいえば、良いものは良いという是々非々的な視点だ。それに対して機関誌は党派的なものであり、良いものは良いとか是々非々の視点には立たない。むしろ、それらを総体として批判し否定する立場といえよう。そしてその立場が、東野大地と山本桜子の文章、そして資料的な図版等で100頁近いボリュームを埋めた3号において具体的に展開されている。
 3号の基本的内容は、昨今の、地域交流に参加し、社会に役立つことを志向する芸術の風潮に対する、揶揄的脱臼化による批判だ。「福岡アートフォーク」、大阪市天王寺区の「デザインの力で行政を変える!!」、「All about 九州アーツ」の公開プレゼンテーション、東京の千代田区神田で行われているアートイベント「TRANS ARTS TOKYO 2013」、「説明するのが面倒だ」というメールアート展としての「新世界蜂起展」等への批判的な参加と介入の顛末が、東野大地と山本桜子によって詳細に報告されている。むろん、その成果は、輝かしい勝利ではなく、むしろ後退や敗北に近く、それは両人の文章によってもはっきりと語られている。しかし、そのような結果よりも、その行為を通じて浮かび上がる、社会に役立つ芸術の実態が面白く、それを取り上げる東野、山本のユーモアと批判的意識のこめられた上質の悪意を裏味とする良質の文章が読ませてくれる。
 その中から山本桜子の「新世界蜂起展」というメールアート展の行為を取り上げてみよう。郵便局員は郵便法により、信書の内容は、葉書のように見えるものであっても読んではならず、白紙であっても気付かないふりをしなければならない。」しかし、送付先や差出人の住所と名前は、配達のため、必要ならば何度でも見る必要があるという現実に着目して、桜子は、新宿郵便局から同郵便局留めの自分宛ての白紙の葉書を出し続けたのだった。郵便局員は、その白紙には見ないふりをしなければならず、郵便法上、正しく切手等が貼り付けられていたなら、自分の所の局から局への、差し出し人と受取人が同一人物であるような、何の意味があるのかも分からない郵便物についても配送行為をしなければならない。私は、以前、西新宿に住んでいた頃、新宿郵便局には何度か足を運んだこともあり、それを思い出しながら、この無意味で不可思議な投函行為は面白く読んだ。ここでは、山本桜子によれば、メールアート展ということから、郵便の在り方を媒介として、現代美術は作品のみでは成立せず、「その作品の生まれる経緯、作者の意図が重要」ということを問うている。この文章が面白いのは、ちょっとした小説風の展開になっていることだ。桜子の同志の東野大地が、匿名で出した「新宿郵便局様、先日、山本桜子という人物が貴局にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」という葉書を受け取り、当初は、「何なのよ、これ」と訝しく思った桜子だったが、しばらくして東野の意図、理解出来ない自我同士が、理解出来ないことを理解出来ないまま理解するという、もう一つの現実を伝えていることを知り、桜子は感激し狂喜する。そして「新宿郵便局の地下で、桜子は一人しばらく泣いたり笑ったりした。それから鞄に葉書をしまい、夜の街に出て行った」という映画風の終わり方をする。但し書きで、参加アーティストが次々と謎の死をとげるアート・ミステリーを構想してみたが、とあるが、ここで報告されている白紙の葉書の無数の回送を可能とする現実が、中井英夫の『虚無への供物』ではないが、ちょっとしたアンチ・ミステリーになっていると思われた。
 このような3号については、その総括でもある「まとめ」の、さらに「おまけ」に次のように記されている。「『アーティスト』としてアイディンティティを確立し得なくなった『アーティスト』が、自我の補強のために『社会』を、『弱者』を、『他者』を、『外部』をダシにして自我を回復しようと試み、そのような卑劣な自我をあたかも高尚に思わせてくれる『社会のための芸術』といった概念にべったりと媚び、・・・・たかが自己保全のために、善人意識を保ったままに、その自己欺瞞に気付かぬふりをしながら、否、気付かぬままに他者を搾取し、なお且つこの下司な、怯懦な、愚鈍な、いっこうに美しくない振る舞いをたとえば『関係の美学』などと呼んでその名に追いすがる──これまで述べてきたように、我々を突き動かすものはこれら総体への、そして個々への、嫌悪感であった」。このように述べると、いかにも強持ての媒体のように思われるかもしれないが、そうではなく、時には逆説的な笑いを喚起したり、繊細な感覚の文章が記され、その文章そのものを楽しむことも出来る。加えて、山本桜子が記す、桜子一人の架空会社、恐ろしいチョコレートのパッケージ、埼玉検定、美術展で会場の備品を、展示作品と錯覚させる企て、ラッセンのイルカの絵から、マレーヴィチやベルイマンを加味して構想した難解映画のイメージ、、東野大地の近・現代芸術史講座などその単独活動は楽しい。東野は、ドイツ・ロックの通暁者でもあるが、さらに加えて、エルンスト・ユンガーに関して、本人も知らなかったようだが、日本のユンガー研究者のおそらく誰もが知らない発見をしている。ユンガーの名を出したが、山本桜子も東野大地もユンガーには強い関心を持っており、二人が来阪した折は、難波や天王寺・阿倍野で、『労働者』をベースにした、ちょっとした不定期のユンガー研究会のようなことをしたことがあった。
 『メインストリーム』からの告知では、現在のところ、東京では、恵比寿ナディッフ、中野タコシェ、新宿の摸索舎、等で目下、販売しているとのこと。大阪でも、難波・味園ビルのTorary Nand、その他で販売する予定。http://mainstream.6.ql.bz/

※画像は、『メインストリーム』3号表紙、美学校での中ザワヒデキ氏(右)の催しに参加した東野大地(左)と山本桜子(中)。
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