mixiユーザー(id:5437811)

2016年03月26日06:50

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懸命に行動しています。

私と彼女(同居人・パートナー)は、直接間接的に色んな偏見差別の言葉を浴びせかけられます、でも私は、こう思ってます。

言葉一つにその人の人生が濃縮されている、しかし洗脳と経験がその人の言葉になり行為にも成る。

その場で向き合って良いときと、のちに自らがその言葉を浴びせた人の立場に出来る限り近づいてなり、己を見る。

理想論と現実論そしてカオス、がかわるがわる現れてくる、そして理想論が言えなくなったら希望が無くなると思ってる私が居る。

だから、言葉、ココで言えば文書を発しなければ伝わらない、だから書く、書く事を許されているから書く、必死になって書く、己の宣言として書く。

聞きたくない言葉、読みたくない文書、それが有る時、向き合うか、スルー無視するか、その人の経験と言う利器用で決まると思ってる、同じである。

私は私と向き合い其の全力で、彼女と向き合う。

ここで、降りてくる生き方と書いたが、それは素直にプライド・ええかっこしい、欲を捨て、出来る限り同じ視線で向き合うと言う事だと思ってる。

そこに、飾り付けは要らない、むしろそれをすると不細工になり自らが作った落とし穴にはまりこむことに成ると思ってる。

ありがとう。

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