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2016年03月19日22:40

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昨日は私の誕生日であり、多くの方から・・・


 昨日(3月18日)は、私の誕生日でもあり、多くの方から、Facebookをはじめ、その他のSNSからメールや各種メッセージその他において言葉をいただき、ありがとうございます。
 還暦の頃に、イベントへの出席のため東京へ行っていましたが、小田急線で女子高生から席を譲られたことがありました。電車で席を譲られたのは生まれて初めてだったので少し驚きましたが、偶然だろうと思い直すようにしていました。ところが、その後、帰阪し、阪急線でも若い女性から席を譲られ、これは偶然ではなく必然であり、そのような年齢の人間に見えているのだろうと直視するようにしました。それから何年か経ち、正直にいえば、誕生日など、半ば棺桶に向かう時間のようなものでもあり、仕方ないなぁ、という程度のものでしかなくなりました。
 確かに誕生日が来ると歳をとるのですが、しかし、では、実感として還暦を過ぎ、所謂老人としての意識や感覚があるのかというと、どうも怪しい。たぶん、外見は、席を譲ってくれた若い人たちが見たような老人なのかもしれませんが、意識や感覚の方はどうかというと、年齢不詳のようなところがあり、よく覚えており、当時の視線の皮膚感覚が残っているのが、20前後から30代後半あたりで、政治運動をしていた頃から思想活動に入った頃に該当し、不思議なくらい鮮明に、当時の空気感まで覚えていたりします。これは、文書を書く場合、当時を振り返る必要があるため、それに関連して、付随的に様々なことが思い出され、記憶の印画紙に焼き付けられているからかもしれません。また、1969年のアナキストの頃にゲバルトで足に打撃を受け、骨折し、治ったのですが、還暦を過ぎた頃から、負傷した方の足が、歩いていると少し疲れやすくなったこともあるかもしれません。
 私は、35歳頃から55歳頃までの約20年間、隠遁していました。思想の世界から離れ、文章を書くこともせず、ごく普通の生活をしていました。むろん、関心のある方面の読書はしていましたが、それは読者としての関心でもありましたし、また京都在住の元日大全共闘だった友人に誘われ、暇潰しに京都の大学に入り、季節外れの学生生活を遊び、最終学歴が、この時に大卒になったりしました(1969年に京大の入試に落ち、そのまま大学に入らずに、高共闘から、全共闘ならぬ浪共闘で大学解体闘争をやり、その後、思想活動に入ったため、この時まで高卒でした)。
 自分勝手な計算ですが、この時の、約20年という時間を、年齢から引いた数を、今の自分の年齢だと、いい加減に考えたりしています。ということは、現在、40代半ばということですが(笑)、そのような意識と感覚でやってゆこうと考えています。
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