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2016年03月17日22:45

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追悼、メジロライアン。

1991年のGIレース・宝塚記念を制したメジロライアン 余生を過ごしていた北海道で3月17日永眠
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3903125


https://youtu.be/FVGNTqmeFzk

ワタシはライアンといったら、真っ先にこれ思い出すんですよね。
いや、勝ったのはオグリキャップなのよ。
でもね、彼に必死で追いすがるライアンを、これまた思い入れたっぷりに声援送った人が居たの。
競馬実況の放送席から。それも解説者が。
競馬の神様とうたわれた、かの大川慶次郎さんその人でした(笑)
「ライアン!ライアン!!」って思いっきり叫ぶんだもの。さんざんネタにされたもんねこれ。
大川さんにとっては、ライアンって自分が評論家辞めようかどうか迷ってた時に続けるきっかけを作ってくれた馬だそうで、「僕にはライアンは切り離せないんだな」と生前語ってらっしゃったとか。


メジロライアン、早くからクラシック候補生として頭角を現しながら、結局一つもクラシックは捕れなかった。
前が壁になる、アイネスフウジンの絶妙の逃げに泣く・・・そしてオグリには届かず。
鞍上の横山典弘は当時若手のホープと呼ばれたジョッキーだったけど、負けばかり続いて、しまいにゃ牝馬ユキノサンライズにも後れをとる始末。
「鞍上交代せえ」と随分厳しい声も飛んだそうです。
それでも関係者は我慢して乗せ続けた。そして宝塚記念でようやく悲願達成。
たぶんヨコテンにとっては、すんなり勝つより良い勉強になったと思うんです。天狗にならず「何故勝てない」と自問自答して進歩するきっかけを、ライアンは作ってくれた。


宝塚記念後は足の裏筋を痛めて、勝ったのは日経賞だけでしたけど、そんな状態でよく重賞勝てたわ。
アンバーシャダイの産駒は怪我に泣く・決め足に欠ける馬が多いんですが(カミノクレッセが典型的)ライアンもまた分かりやすく特徴を受け継いだ。


しかしライアン、同期の馬や、この同じ有馬記念を走った先輩にはない栄誉を得たのです。
それは産駒が中央競馬のG1を取ったこと。それも複数。
メジロブライト・ドーベルの二頭を初めとして、良く走る子供に恵まれた。
振り返れば、同期のクラシックホースたち・・・ハクタイセイは産駒全く走らず、アイネスフウジンはどうにか地方競馬でファシトフレンドという活躍馬を出したけど早世してしまい、同じメジロのスターホース・マックイーンは直系の子でG1は捕れなかった。(母の父としては見事なもんですが・・・)ホワイトストーンもまた然り。
ライアンより年上の、いわゆる平成三強とその同期はG1
どころか重賞取る産駒出すのものも苦労する有り様、サッカーボーイだけが活躍場を出せた。
その下の世代に至っては、唯一の古馬混合G1勝ち馬オサイチジョージは行方不明、その他は産駒の名前すら聞かない・・・
厳しいもんです。ライアンはそんな中を生き残った。


父アンバーシャダイと寿命で肩を並べるまではいきませんでしたけど、この馬も十分な長生きだったと思います。
横山典弘騎手の心境、如何ばかりでしょうか。

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