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2016年03月14日06:27

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第71代総理中曽根康弘は海外で「土人女を集め慰安所開設」防衛省に戦時記録あり戦後脈々と軍部の子息とその取巻き官僚が日本の政界を支配し牛耳り続けている事を赤裸々に証明中曽根の孫次回参議院選出馬予定最悪

民家を接収し設営班慰安所に変えてしまう軍部中曽根康弘を逮捕も起訴も裁きもせず71代総理大臣にまでしてしまう議員官僚の自分に全く向き合わない向き合えないダメ素性は世界から見て当然完全に不十分


日本の総理が海外で慰安所指示
csaigaijyouhou.com/blog-entry-3724.html

に未だ不起訴未逮捕未処罰無罪は完全に国際的履行不十分http://blog.goo.ne.jp/kochi53goo/e/2e83199d557e12556b8adce89dbf7c58



【驚愕】中曽根元首相が自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達をしていたことが判明!

csaigaijyouhou.com/blog-entry-3724.html

*公開された戦争時代の記録
中曽根元首相が太平洋戦争時代に慰安婦施設の設置に関与していたことが判明しました。これは防衛省の公開している文書から分かった物で、2011年に高知県の平和団体が発見を報告しています。問題の資料は「海軍航空基地第2設営班資料」という名称で、第2設営班の主計長として中曽根氏の名前が記載されていました。
この資料には班の編成や装備、活動内容などが書いてあり、中には「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」というような慰安婦を示唆する言葉があります。

主計長とは上記でも書いたように中曽根氏の事で、これは中曽根氏が慰安婦の設置に関与したことを示す重要な証拠だと言えるでしょう。中曽根元首相は前々から「(慰安所の)具体的なことは知らない」と否定しているので、これは彼の発言と矛盾する情報です。戦争時代の記録が嘘とは到底考えられないので、中曽根元首相は公の場でちゃんとした説明をするべきだと私は思います。

また、「海軍航空基地第2設営班資料」とは別に、中曽根元首相の手記にも慰安婦や慰安所を示唆することが書いてありました。問題の手記が掲載されたのは「終りなき海軍」という海軍に所属した方達が意見を集めた本で、その中に中曽根元首相は「二十三歳で三千人の総指揮官」というタイトルで慰安所に関する文章を投稿しています。中曽根元首相が投稿した文章には「私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と書いてあり、明らかに慰安所という文字が書いてあるのです。

このように、中曽根元首相が慰安所の設置に関与していたのは確定的だと言えます。朝日新聞の慰安婦誤報騒動で、慰安婦や慰安所の存在を根底から否定する声もありますが、それは大きな間違いです。
今回の資料のように、元首相も慰安所の設置を認める記録を残しています。未だにちゃんとした責任追及がされていないことから、改めて中曽根元首相らを国会などに証人喚問して追求するべきです。それこそが、戦争時代の反省であり、これをしない限りは周辺国もこの問題を利用し続けることになるでしょう。


☆中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
URL http://news.livedoor.com/article/detail/9198847/
引用:
大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の"手記"の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
:引用終了

☆「土人女を集め慰安所開設」中曽根元首相関与示す資料
URL http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html
引用:
中曽根康弘元首相が、戦時中に慰安所設置に積極的に関わっていた資料が防衛省の公開している文書の中から見つかったと、高知市の平和団体が27日、高知市内で発表しました。

 明らかにしたのは、高知県内の戦争遺跡の調査や保存に取り組んでいる民間団体「平和資料館・草の家」の岡村正弘館長や馴田正満研究員(63)ら。
:引用終了

☆中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)


世間では朝日新聞の従軍慰安婦問題における誤報を取り上げてピーチクパーチク騒がしいのだが・・・、そんなもの吹き飛ばすくらいのビックニュースだ。

これは大変・・・、なんせ日本の元首相が戦時中に自ら企画して官製従軍慰安婦所を開設していたというのだ。これが本当なら朝日の記事がどうだこうだ言っている場合ではない。

今まで、騒がれなかったことが不思議なくらい・・・

検証に値する記事であることは間違いない。

http://blog.goo.ne.jp/kochi53goo/e/2e83199d557e12556b8adce89dbf7c58
 

(以下、記事転載)

Capture_2014_08_31_17_49_55_203

http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html

【中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が】 2014.08.29.

中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター).

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。


中曽根元首相の孫・康隆氏、ダブル選なら出馬か 群馬1区・佐田氏「性治活動」に地元難色

2016.03.13

中曽根康弘元首相【拡大】

大勲位・中曽根康弘元首相(97)の孫が、次期衆院選に出馬する可能性が出てきた。週刊誌に女性問題を報じられた、群馬1区の佐田玄一郎元行政改革担当相(63)の公認について、自民党県議団などから異論が噴出しているのだ。自民党王国・群馬で世代交代が進むのか。

「(出馬を)自ら辞した方がいい」

前橋市内で5日に開かれた党前橋支部役員会。国会議員や県議ら約30人が出席し、出席者から、佐田氏に厳しい意見が出たという。会合は7日にも開かれたが、結論は次回以降に持ち越された。上毛新聞が報じた。

佐田氏は当選9回のベテランだが、週刊誌に女子大生との関係を「性治活動」と報じられるなど、地元での評判は悪い。秘書は会合で、報道内容と事実は異なると説明したが、夏の参院選が衆院選とのダブル選挙になる可能性を見据えて、候補者の差し替えを希望する地元有権者も多い。

こうしたなか、中曽根元首相の孫、康隆(やすたか)氏(34)に注目する声がある。康隆氏は、慶応大学法学部卒、コロンビア大学大学院に留学し、外資系証券会社に勤めたエリート。現在、父、弘文元外相(70)の私設秘書を務めている。

康隆氏の公式サイトを見ると「『この国に生まれてよかった』と思える、日本に。」とあり、景気回復と財政再建、外交・安全保障、教育、農業について、独自の政策が記されている。

衆参同日選に出馬して当選すれば、学年では1つ上となる小泉進次郎農林部会長(34)とともに、次世代の自民党を背負う人材となりそうだ。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20160313/plt1603130830001-n1.htm



潘事務総長、元慰安婦と初面会 国連本部
(朝日新聞デジタル - 03月12日 18:19)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3895246
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