自分は九州の大分県に住んでいるから、5年前の3月11日も普通に仕事をしてました。
クルマのラジオで地震があった事を知り、訪問先のお客さんに被害が凄い事を聞かされ、帰宅して夕方のニュースで津波の映像を見ました。
その後も結局、テレビ、ネット、雑誌で情報を見るだけになっています。
社会から必要とされている多くの方々が亡くなったり、困難な境遇に陥ったりしてるというのに、自分のようなバカがノホホンと生活していて、世の中というものは本当に理不尽なものです。
ただ原発事故によって残された動物たちが、あまりに可哀そうで、救援活動をしている団体に、いくらか募金しました。
今年も3月11日が来て、テレビでいろいろ特番が組まれていました。
見ていて、やはり、いろいろ考えてしまいます。
津波に襲われた地域は巨大な堤防と、山を削っての住宅地のかさ上げがされているみたいですね。
人命を尊重しての工事であるのはわかるのですが、そもそも、その土地に人が集まったのは豊かな森と海があったからじゃないか、と思うのです。
それを無くし、安全な住宅地と商業施設があっても人は、居つかないんじゃないかなあ。
過疎の地方って、結局、金を稼げる仕事がないから過疎になる。
そして、その仕事というのは、できたら税金を当てにしたものでなく、自然の恵みを当てにしたものじゃないと・・。
そして一番の問題はフクシマの原発事故ですね。
これの収束に何年かかるのか、お金がいくらかかるのか。
大体、収束できるのか、それさえもわからない。
科学技術が飛躍的に進歩でもしない限り収束は無理、と自分は考えています。
主義思想に関わらず、解決に向けて全力で取り組むべきだし、いざという時のために資金を貯めておくべきだと思う。
それこそオリンピックなんて、やってる場合じゃないでしょ。
オリンピックのエンブレムや国立競技場の騒動を見てもわかる通り、この国は問題が起きても誰も責任をとらない。
上手く責任をとらない仕組みを作り上げた上で政、財、官、個人の思惑や欲望が絡み合って、税金を懐に入れる事ばかり考えているんじゃないか。
そして、こいつら、もう日本がダメだと思って税金を使う口実を作って、上澄みを掠め取ってるんじゃないか・・。
ところで自分の出身は横浜の街中なのですが、近所の住宅街にコンコンと水の湧くところがありました。
そこには「関東大震災の時、この湧水によって多くの人命が救われた」という看板があったのですが、自分が大人になる頃、新たに造成され直され、湧水もなくなってしまいました。
自分が大分に来たのは「たまたま縁があったから」なのですが、横浜を離れようと思った理由の一つに、その湧水がなくなってしまった事があります。
そして大分県を移住先の候補にしたのは、原発がなかったからでもあります。
ま、結局、地球上どこに居たって、絶対安全なんてないんですけどね
。
ログインしてコメントを確認・投稿する