校長「2人以上産むこと」発言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3894376
小学生当時のオレなら、
「でも、せんせい、”じぶんができないことは、ひとにしろといえない”、といいます。
男子は子を産めません。 子を産めない男子は、何をすればいいですか?@@」
と、問い返したかもしれない。
よもだ(=へりくつばかりいって、おとなに疑問をぶつける)な、小学生でした。
これが、下世話な大人なら、子作りには、男の子種がいるから、男は、女に、子種を植え付ければいいんだよ、と。
胚種と胚芽のように、機械的に受粉させればいいかのように。
家畜の繁殖のように、人工交配させておけば、オートメーションのように子供が製造できるかのように。
ところが、にんげんは、そういう風に、単純にできていない。
「己の欲せざるところを、人に施すなかれ」By孔子・・・
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo07.htm
おそらく、この発言を行った校長先生は、戦後の世界的人災による、大量人口減少社会を経験し、『産めよ増やせよ』という旧約聖書の一節をもじった、国家スローガンを 親の世代から耳に胼胝(たこ)ができるほど、聞かされて育った世代なのかもしれない。
こ ん に ち は あ か ち ゃ ん。
高度経済成長期、ちょうど 今から、60年くらい前。
子供が増えれば、社会が潤い、国家は永遠に 富み栄える、と。
その頃の、日本における”理想の家庭のモデルケース”では、大人2人に子供2人が 健康で文化的な最低限の生活を送れる時代だったのだろう、と。
”うさぎ小屋”のような団地でも持ち家があり、”三種の神器”と例えられる「くるま」「てれび」「れいぞうこ」といった、家電製品と移動手段があれば、平均的な「めぐまれた家庭」だと。
ひたすら、尻を叩かれ、叱咤激励され、富国強兵、増員増産を迫られ、まるで社会に飼われた家畜のように、出産、労働を営まなければ、ヒトではない、という価値観の元、育ってきたのかもしれない。
しかも、”学びたければ、子の育成を見届けてから 学べばいい”という。
つまり、学ぶことは、非生産的な活動であり、生活に必要なことではないと。
生きる上で、”ぜいたく”なことだと。 ”ぜいたく”は、敵だと。
だとすれば、この方は 教育者であるにもかかわらず、教育の基は、一切の生産活動をせず、ひたすら蕩尽することだ、と子供たちに教えているのだろうか。
すべては、上の世代の価値観をこの方なりの処世術に照らし合わせて、なるべく単純に、問いかけやすく、子供たちに問いかけたのだろうが、現在のように、過去のモデルケースや常識が、あまり通用しなくなってる時代、乳のみ子を抱えた母親が、男手も頼れず、親も頼れず、育てることも、働くこともできず、「日本死ね!」と叫んでいるのはなぜか、理解できないまま、大変な誤謬を、2つ 犯しているように感じる。
それでも、とにかく、子供さへできれば、あとは何とかなる、ということであれば、精通したばかりの男子と、初潮開始したばかりの女子児童の間で、妊娠騒動が 頻発したら、どのような、アドバイスができるのだろう。
おそらく、堕胎か 中絶を薦めるだろう。
せめて、小学校を卒業するまでは、「子供は、学業に専念しなさい。」という理由で。
さて、先生の訓示というのは、大抵、壇上から、一方通行で語られることが多いのだけど、様々な、解釈の齟齬が起きて、何か問題が起きた場合、次の一手を考えてない事に、改めて驚かされる。
最終的には、校長先生は、
「もっと校長先生の言う事を”好意的に”大人の言う事と斟酌して、しおらしく拝聴し、おおらかに解釈しなさい。
それができないあなたは、知識人失格だし、お話をしている人に対して思いやりを持って理解し、許容することのできない、心の狭い人か 精神的奇形児です。」
とでも仰るかもしれない。
ま、大人の言う事、わけても”先生の言う事は絶対”らしいので、オレは、そのように受け止めて、決して、校長先生の言う通りには なってこなかった、その後の日本の 半世紀にわたる失敗がどこにあるのかを、静かに考えることにしよう。
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