国産初のSL「233号機関車」、重要文化財に 京都鉄道博物館に展示
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一口に文化財と言っても色々なものがある。其れこそ書画骨董の類から建造物まで様々あるし、金額も違う。高価なものは其れこそ天井知らずの値段がつく。
さて、本件話題の蒸機。軸配置1B1のタンク機。あれ?確かR.F.トレビシックが指導したんじゃなかったっけ?
最初は「お雇い外国人」の所作を見よう見まねで学んでいった明治の日本人、やがて自分達でも出来るようになり、遂には完全国産を果たすようになった。当初は英国の影響を色濃く残していたがやがてドイツ風のTasteも混ざるようになり日本型とも言える姿が完成したのはD51辺りか?
さて、黎明期のわが国鉄道界で英国人技師を驚嘆させたエピソードがあるとのこと。
それは土木技術と木工技術。江戸時代から治山治水事業が行われていて、また木工も大は神社仏閣を立てる宮大工から小は小物を創る指物師まで技術が確立伝承されていたから、軌道敷設工事は勿論のこと、車輛製作にあっても客車・貨車は当時は欧米先進国でも木製車体が当たり前だったから、車輪やフレームこそ輸入物でも上物は早くから自前で調達できていたのだ。
当時の機関車は保存されたものもあるが客車・貨車に於いては悉く歴史のかなたに消えて行った。
それでも客車は産業文化財と言うよりも、工芸品否美術品と呼ぶべき御料車などは保存例があるが貨車に至っては皆無に近い。僅かに貨物鉄道博物館にある位だ。
技術遺産としてのSLの価値はいささかも揺るがないが、同じく旅客や荷貨物の輸送に活躍した客車・貨車の存在も忘れないでやって欲しいものである。
それ以上に是非思いを馳せていただきたいのはやはり先人達のこと。あの時代を生きた人々の息吹や思いが遺された様々なものを通じて伝わって来る。モノとしての価値以上にそれはきっと大切なことを後世に伝えてくれると信じたい。
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