マイミクさんが愛について書いていたので、私も考えてみんとします。
観念的な愛みたいな難しいことは全然わからない。理屈として、自分にとって不快なことをされてもされてもその人にしがみつくみたいなそういう人間の心の仕組みもあるので、何か執着みたいなものは一体何で出来ているのだろうか。と思う。
特に男女の愛みたいなので思うのは、付き合ったら暴力を振るうとか暴言を吐くとかそういう人となぜ一緒にいるのか?と言うのがある。他に良い人はいないのかい。と思うんだけど、よっぽどでないと別れたりしないじゃないですか。
あれは一体なんなんだろうか。変わることを期待しているのか。
変わることを期待しているみたいなことを言うけど、変わるように促すみたいなことをしないこともある。反応を変えてみたら変わるかもよとアドヴァイスしても無駄だったりする。
いつもの不幸を喜んでるかのようにふるまう。
そういうのを傍らで見ていて、ああ、なんだか自分が幸せになってほしいと思って何か言っても通じることはないんだな。と思っていると、ある日突然状況が変わって、破局で別れて別の人と幸せになったり、相手も変わったりすることがある。
それで、付き合いがなくなったりもしたりして、まぁ、前にも日記に書いたけど、お互い天使っていうのかな、辛い時には一緒に考える時期みたいなものだったんだろう。と思う。
しかしながら、別に自分の言うことをみんなが聞くべきだなんて思ってないけど、非常に不思議だ。変わることを提案してもどうして変わろうとしないんだろう?
どうせ私の言うことなど誰も聞きやしないんだろうと思って無茶苦茶言ってみたら、それだけは言う通りにされちゃって困る。
しかし、多少腹が立っても、べっとりと誰かと一緒にいてほしいこともある。
精神的な心の支えや、具体的な助けは誰にとっても必要なんじゃないだろうか?
誰の支えもいらない人は立派なんだろうか?違うんじゃないだろうか?
自立自立っていうけど、一人でなんでもかんでもやることが自立なんだろうか?
税金を使わないで納めるだけが自立なんだろうか?
それは税金を吸い取る人間たちの都合のいい自立なんじゃないだろうか。
愛は、すっきりした法則ではなくて、もっとカオスな気がする。
自分では関係ないと思っていてもどこかでつながっていて、
深く関係あると思っていてもどこかつながれないような。
パーソナル(個人的)な空間とパブリック(公的)な空間 空間と言うか付き合いというか、関係は全部つながってる。
公的に考えて、誰かが犠牲にならなきゃしょうがない。みたいなのは、ある種の固い信仰なのではないだろうかと思う。
本質はそうではない。
嘘と真実はどこにあるのか。
言葉の中にはなくても現象には現れて来る。
物事はどこから来てどこに流れるのか、時々考えています。
[mixi] 物象輪廻転生
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