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2016年02月28日23:28

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私の実体験

■何のために診断名をつけるの?わが子の発達障害から、私がわかったこと
(ママスタジアム - 02月28日 20:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=176&from=diary&id=3873968

これは、私の実体験である。

子供のころから私は普通の子供と違っていた。
雰囲気で周囲の様子を察するのが下手で自分の気持ちも上手に言えなかった。
当然、虐められた。
しかし、頼りになるはずの先生や親は「お前が悪い」としか言わなかった。
少なくとも、私はそう感じた。
―努力しろ
―頑張れ
そんな言葉がどれだけ私を追い詰めたか……
やがて、私は周囲を憎しみ、恨むようになる。
このエネルギーは爆発的であった。
どんな無茶なこともできた。
だが、それは同時に大きな副作用もあった。
仕事にしろ勉強にしろ、一回躓くと全て拒否されたような気になり『死』を意識する。
『みんなから殺される』
常にロープの上を渡っているような気分だった。

こんな精神状態がいいわけはない。
リストラなどで私の精神は傷だらけになっていた。
そんな時だ。
早期退職をして障がい者施設で働くようになった父が言った。
「別にお前を貶めようという意図はないんだが……………お前の脳はもしかしたら特殊な癖があるかも知れないぞ」
この時の私は捨て鉢状態だった。
実際、何度か地元の精神科を受診したが「ヒステリー」などとされ馬鹿にされ、怒鳴られ、薬も受診券も捨てたことがあったからだ。
しかし、予想に反してしっかり検査をし(実際検査や面談は三回ほどあった。通いで一か月程度かかった)結果が出た。
私は馬鹿にされるか不安だった。
そんな私の手を検査をした医師は握って言った。
「今まで本当に良く頑張ってきたね」
予想外の言葉に私は目を点にした。
自分の脳が機能不全を起こしていることは医師の説明で理解できた。
けれど、細かくは分からなかった。
両親と施設を出た時の言葉は「お腹空いたから、蕎麦屋にでも行こう」だった。
その後リハビリ施設を探し、今のクリニックに通うことになる。

リハビリ施設に通うことになった当初。
私は早く仕事に就職したかったし、出たかった。
理由は、焦りもあったし苛立ちもあった。
また、同じように発達障害でじっとしていることが出来ない子もいた。
それが理解できず、私を馬鹿にしているのだと思い込んで、その子を無理やり二人きりになると様々な罵詈雑言をはいた。
その子は大泣きしたが私はそれでもやめることをしなかった。
私は『注意』という言い訳を使って自分がやられていたことをやった。
それ以外で注意する方法を知らなかった。
結果、施設のスタッフと医院長から叱責を受けた。
スタッフは言った。
「あなたは周りが全て敵で何でも一人でやろうとする。でも、もう、他人に頼ることと休むことをしていい。働き過ぎだ」

幸い、両親の理解もあり、今は治療に重点を置いている。
そのせいか以前よりかはだいぶ楽になった。

両親が言っていたことがある。
彼らもまた、私を普通にしようと苦労した。
また、障害だと分からなかったらどう対応していいか分からなかった。
だから、怒鳴ったり体罰をした。
だが、不思議なもので障害だと思うと、ある意味あきらめがついたらしい。
以前なら些細なことで混乱する私を叩いたり罵詈雑言をはいていたが、今は「ちゃんと薬飲んでいる?寝ている?」と聞いて障害であることを自覚できる。

「障害と知ってどうするんだ?」と言う意見もある。
しかし、「障害」と知ることで、それまで家族や教師だけで解決しようとしていたことが公の機関を使うことができるので負担が減る。
実際、子供の未来に絶望し子供を殺し無理心中をしようとする事件が後をたたないが、公の機関(病院など)を使えばかなり楽になる。
(まあ、税金の問題もあるけど)
また、今の学校や会社は発達障害に対して理解を示し始めている。

発達障害者に取って本当に困っているのは個々人が持つ偏見や誤解なのかも知れない。
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