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2016年02月26日07:26

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「自分の過去を恥じないで生きる」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16386 (写真入り記事)

毎朝、妻と朝食をたべながら韓国ドラマの「馬医」を見ています。

このドラマには、いくつかのメッセージが込められています。

�� 人には運命がある
�� しかし、運命は変えることができる
�� 運命を変えるためには、確固たる信念を持つ必要がある

「馬医」の主人公「ペク・クァンヒョン」は、「両班(ヤンバン)」という最高の身分の長男として生まれるものの、その父「カン・ドジュン」は、正義感を持って悪を暴こうとした結果、王子殺害の濡れ衣を着せられ打ち首に処せられました。

「カン・ドジュン」の生まれたばかりの子どもが男なら処刑、女なら卑しい賤民の奴婢(ヌヒ)として、役人の使用人とされると決まりました。

生まれたのが「カン・ドジュン」男の子だったため、殺される運命にありましたが、少し前に「カン・ドジュン」が救った「ペク・ソック」が、恩返しをしたいと考え、生まれたばかりの娘と生まれたばかりの「ペク・クァンヒョン」をすり替えました。

「ペク・クァンヒョン」は、本来、最高の家紋を持つ両班の身分のはずですが、すり替えられたことで、奴婢という賤民の立場で育ちました。

養父「ペク・ソック」も、正義感ゆえに、目撃した人殺しを役所に告発した結果、濡れ衣を着せられて殺されました。

「ペク・クァンヒョン」も、人殺しを目撃したことで殺されかけました。しかし、奇跡的に牧場に流れ着き、そこで使用人として養われる中、「馬医」の技術を身につけます。

後に、成り行き上、都(みやこ)に行くことになり、そこで、清国に貢ぎ物として献上する大事な馬の病気の治療を買って出ます。それは、売名行為のようなものではなく、ただ命を救うという確固たる信念に基づくものでした。

もし、清国に貢ぎ物として献上する大事な馬の治療に失敗し、死なせてしまったとしたら、自らの命を取られるという状況の中、見事に治療に成功しました。

このことがきっかけで、都にとどまることになり、様々な騒動に巻き込まれ、「ペク・クァンヒョン」は何度も命を取られる憂き目にあいながらも、命を救うためにまさに命をかけ続けました。

後に、医学生となり、王宮の医官となり、最後は、王の主治医、地方の官職の長官にまでなりました。

「馬医」のドラマは、ところどころはフィクションですが、「ペク・クァンヒョン」は実在の医師であり、実際、かつては、卑しい仕事とされた「馬医」だったのが、後に「王の主治医」になったことは歴史的事実です。

当時、外科手術は、儒教の教えを取り入れていた韓国では、親からもらった体にメスを入れるなんて、絶対に許されないような時代でした。

身分の違いは、絶対に乗り越えられないような区別があった時代です。

後に、「ペク・クァンヒョン」の宿敵となる悪役の「イ・ミョンファン」は、同じく「馬医」出身で、一国の「首医」にまで登りつめましたが、「イ・ミョンファン」は自分の過去を恥じ、過去を隠していました。

「ペク・クァンヒョン」は、過去を恥じることなくさらけ出し、さらに、「馬医」であったことにプライドを持ち、当時、人体の解剖が許されない社会の中で、「馬医」の経験を生かし、動物の体を切り裂く外科手術の経験を医術に積極的に取り入れました。

その結果、「ペク・クァンヒョン」はどんどん成長していき、「イ・ミョンファン」は権力を立てに保身を図りますが、保身のために人を殺し、悪に身を染め、衰退の一途を辿りました。

私が、「馬医」のドラマを通して学んだことは、「自分の過去を恥としない。隠さない。」ということです。

クリスチャンになると、体験談を集会の中で語ったり、人に語ります。それを証(あかし)と言います。

証は、主に3つのポイントで構成されています。

�� イエス様に出会う前の私
�� イエス様と出会ったきっかけ
�� イエス様と出会った後の私

人は、自分の弱さや失敗をできれば隠して、いいところだけを見せながら生きていきたいと思うものではないでしょうか。

しかし、過去を隠し、過去を恥じていたら、その人の持てるポテンシャルはフルに発揮されません。

イエス様と出会うと、恥じて隠したいと思っていた過去が宝に変わります。

「その過去があったからこそ、イエス様と出会い、救われた。そして、今がある。」だから、過去をさらけ出し、恥じることなく生きていくことが可能になります。

「ペク・クァンヒョン」はドラマで見る限りは、クリスチャンではありませんが、このドラマの中には、聖書と同じメッセージが流れていると感じました。

「ペク・クァンヒョン」は、自分の出生をのろうことなく、恥じることなく、隠すことなく、感謝し、誇りにさえ思っていました。

「卑しい賤民の身分で生まれたことは罪ではない」と断言しました。

この信念が、当時の韓国ではどれだけ勇気があることかを今一度思い起こし、自分に与えられた環境、使命、仕事、生き方に対して、恥じることなく、胸を張って堂々と生きていきたいと、改めて考えさせられました。

みなさん、自分に対して引け目を感じたり、自分を「小さい者」と蔑んでいることはないでしょうか?

イエス様と出会い、イエス様と共に、過去を恥じないで生きていきましょう。

「ペク・クァンヒョン」は、確固たる思念を持って、運命と環境を変えました。

私たちは、堅い信仰を持って、運命と環境を変えて、神が与えられた使命に生きて参りましょう。

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