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2016年02月23日20:36

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ハンブルクバレエ ジゼル

2016/2/20土 19:30- ハンブルク州立歌劇場

Music: Adolphe Adam
Peasant Pas de deux: Friedrich Burgmüller
Traditional Choreography: Jean Coralli, Jules Perrot, Marius Petipa
Staging, New Choreography, Set: John Neumeier
Costumes: Yannis Kokkos

Giselle: Azzoni
Duke Albert: Riabko
Myrtha: Laudere
Hilarion: Jung
Peasant Pas de deux: Heylmann, Martínez
Zulma: Arii
Moyna: Ishizaki
Berthe: Vracaric
Bathilde: Mazon
Prince of Courland: Bertini
Wilfrid: Fuhrman

Conductor: Nathan Brock
Hamburg Philharmonic State Orchestra

ノイマイヤー版ジゼル、遠征して観てまいりました。シルヴィアとサーシャの夫婦が主演です。

二人の出演目当てに観たのですが、作品そのものの面白さにも引き込まれました。ストーリーも古典と同じですし、振付も古典版をかなり引き継いでいる。のに、ちょっとしたノイマイヤー流の味付けで作品の印象が大きく変わっています。

古典との違いで印象的だったもの、一幕ではまず、アルブレヒトの許嫁であるバチルドの人物像。ノイマイヤー版では彼女は熊のぬいぐるみを片時も離さない、うざいくらいワガママで幼い少女として描かれています。アルブレヒトはそんな許嫁に満足できず、バチルドと正反対の思慮深くて慎み深いジゼルに惹かれた、という印象を受けました。

そのアルブレヒトが身分を暴かれるシーン。ヒラリオンの迫り方がなんともリアル。かわそうとするアルブレヒトを追いかけながらジゼルの目の前で証拠を一つ一つ繰り出し、確か最後には紋章か何かがついた服を投げつけていたような。ヒラリオンはアルブレヒトより強いキャラクターで、アルブレヒトの不甲斐なさが余計目につきます。

ジゼル狂乱のシーンはくどくはないのですが、アルブレヒトの上にのしかかって彼を叩くシーンがあり、恋人に裏切られた女性の姿としてのリアリティがありました。それをひたすら受け身に受け入れるアルブレヒト。他キャストで観ていないのでサーシャの解釈なのかノイマイヤーの意図なのかは不明ですが、アルブレヒトは善人だけど受け身の甘いぼんぼんに描かれているように見えました。

さて、二幕。ここのウィリー達の描き方がなんとも独特。古典だとコールドということで人格はあまり感じないのですが、ノイマイヤー版では彼女達も昔は人間で、それぞれの過去を持っていたんだろうなと感じさせられます。ヒラリオンだったかアルブレヒトだったか覚えてないのですが、フラフラになった彼を見て甲高い笑い声を立てるウィリー達。かなりぞっとするシーンですが、自分達を裏切った男性への恨みが込められているようでした。でも、仲間に加わったばかりのジゼルがアルブレヒトを守ろうとする姿を見て、彼女達は突如隊列を乱して動揺する。ミルタに一喝されて彼女に従いはしますが、過去に自分達が人を愛したことを思い出し、ジゼルに共感したに違いありません。一人一人のウィリー達にも、過去がある。そこにノイマイヤーのキャラクターに対する優しさを感じます。

そんなウィリー達に囲まれて踊るジゼルとアルブレヒト。振付はほぼ古典を踏襲していますが、意味合いは少し違うように思いました。ジゼル登場のシーンからして、彼女がどんなにアルブレヒトを愛しているかというのをミルタに訴えているように見えた。アルブレヒトも呪いで踊らされているのではなく、彼女を愛しているというのを伝えようとしているように見えました。二人の必死の訴えが超絶技巧の連続で続き、ミルタにも迷いが生じて彼を葬れないでいるうちに朝がくる。

そして最後に、ジゼルは消えていき、彼の元に一輪の赤い薔薇を残します。ちなみに古典のジゼルでは白い百合が象徴的に使われることが多いけど、ノイマイヤー版は白い薔薇になっていて、最後だけ赤い薔薇が出てきます。アルブレヒトはその赤い薔薇を胸に、絶望に沈むのではなく、前に歩いていく。

全体を改めて振り返ると、単なる悲劇ではなくて、一人の甘ちゃんのぼんぼんが本当の愛に目覚めるという成長物語になっているんじゃないかと。彼はこのあと、ひょっとしたらバチルドと生きていくのかもしれない。けど、ジゼルの自己犠牲によって彼の魂は成長していて、ジゼルを大切に思いながらも目の前の女性にも優しく接することができるのではないかと。そんな温かい気持ちにさせてくれた作品でした。

大好きなサーシャのアルブレヒト。古典の振付をがっつり踊る彼を観る貴重な機会でしたが、ほんっとうにこの人の踊りはきれいだなあ、好きだなあとしみじみ。やわらかい上半身、シャープな足先、滞空時間の長いジャンプ。どの瞬間を切り取ってもポジションが美しい。更に彼の哀しみの表現は、いつもながら本当に胸を打ちます。感情そのものになってしまったような、と表現した人がいたけど、本当にそのとおり。でも、あのサーシャのアルブレヒトだからさぞや悲嘆にくれまくるのかと思いきや、ジゼルへの愛情の深さの方がより前面に出てきていて、思ったより大人な役作りでした。古典ぽい振付を踊るときは自然とノーブルになるのかな。

そうだ、アルブレヒトは古典のものより一幕で難しい振付をたくさん踊ってたように思いました。その追加になってるところがどうもブルノンヴィルっぽいと思ったら、2000年にこの版を初演したときのアルブレヒトはロイド・リギンスだったのでした。きっと、彼が振付けたところもあるんだろうな。

そして、シルヴィアのジゼル。一幕も年齢を感じさせない儚い少女らしさに感動したのですが、二幕がとても印象的でした。明らかに生きている人間ではない「あの世感」があるのに、体温はない感じなのに、心の中のアルブレヒトへの愛情はかなり強く伝わってくるという。こういうジゼルは初めてだったな。ロシア系のダンサーだとあの世感が強くて愛情はかなり後退しているように感じるし(慈愛は感じるけど)、コジョカルのジゼルは愛情が強すぎて生きている普通の人間に見えちゃったという経験があるので。シルヴィアが元から持っている透明感がこの不思議な両立を可能にしたのでしょうか。とにかく今まで観たことないほど愛情深くかつ妖精っぽいウィリでした。

満席だった会場はスタオベでした。今シーズン、ジゼルは残すところあと1回、夏のバレエ週間のときのみです。もう一度サーシャとシルヴィアのを観たいけど、おそらくコジョカルとトルシュなんだろうな・・・。ともあれ、自分が遠征できるタイミングで彼らの公演があったことを感謝しなければ。

さて、この公演の次の日の早朝にハンブルクバレエ団はシカゴツアーに出発しました。シカゴの後は、いよいよ日本。楽しみです!
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