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2016年02月20日16:43

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演劇談義からワーグナー、そして舞踏としての20世紀劇場へ

●演劇には当然だが、台詞と動作がある。例えば、「こんにちは」という台詞で、お辞儀をする動作だ。このように台詞と動作が近似的な場合は分かりやすいが、そうではない場合、あるいは対極化した場合、演劇に対する視線の在所は視覚と聴覚に、様態と意味に分裂することになる。
●近代の演劇は、台詞と聴覚と意味が基軸だった。例えばシェークスピアの演劇はそうだろう。まさに「何を為すべきか、それが問題なのだ」という台詞と聴覚と意味が演劇なのだ。しかし第一次大戦後の演劇は動作と視覚と様態が基軸となる。なぜなら戦争で人間は死んだからだ。
●死んだ者には「何を為すべきか、それが問題なのだ」ということはありえず、問題などはもはや無く、問題の無さが、そこに在り、それが現代であり、近代の文学的な演劇に対して、第一次大戦後の現代の演劇は舞踏的なものとなる。生きている口ではなく、死者の皮膚なのだ。
●芸術的表現における前衛とはもはや死語なのかもしれないが、最先端的な表現に接する場合、表現の最先端が、どのような表現上の問題に直面しているのかが分からないと、何が何なのか、さっぱり分からないだろう。前衛的表現の難解さと評された現象だ。
●あえて前衛と娯楽という言い方をすれば、前衛に対して娯楽は、表現の直面する問題ではなく、多くの者が納得する感情の表現となる。そこには面白さから感動的なものまである。ところで、前衛と娯楽を調合すればどのようになるのか。その壮大なサンプルがワーグナーだろう。
●ワーグナーの作品には、シェーンベルクに繋がる無調音楽の発端という前衛の要素と、見世物的な娯楽の要素がある。ニーチェはワーグナーの娯楽的要素を抽出して批判したが、彼の批判が的を射抜いていないのは、前衛的要素を捨象したか、分からなかったからだともいえる。ニーチェのワーグナー批判については、ニーチェの「個人的事情」(М・エーガー)やニーチェの意識を超えて、ニーチェが書かなかった(書けなかった)その構造を読む必要がある。その端緒を書いたのが25歳の時の『現代思想』(青土社)のワーグナー論だが、これと『情況』のシェーンベルク論を共に大幅に加筆し、さらに描き下ろしの文章を加えて単著にする予定。
●劇団・解体社の二次会で、早朝まで話をした演劇評論家の鴻英良氏は2008年創刊の雑誌『悍』の編集者であり、入れ替わり私も編集者になったので意外と近くにいたが、彼の『二十世紀劇場』(朝日新聞社)が書架の奥にあったので頁をめくってみる。同書が刊行された1998年は、私はまだ隠遁の真っ最中だったが、音楽や絵画、映画、演劇関連の書籍はよく読んでいた。改めて鴻の著書を読み返すと1990年前後のアメリカと共にソ連末期における公認とは異なる表現の状況がコンセプチュアルな演劇を通じて紹介されており、舞踏化する演劇について考える。
●並の市販雑誌より遥かに面白い外山恒一活動報告誌『人民の敵』第17号の冒頭の座談会に、1970年代に東京の国分寺にあった笠井叡の天使館がチラリと登場する。笠井は、劇団・解体社がその系列になる暗黒舞踏の土方巽から枝分かれしたのだが、当時、福岡出身で、知り合いだった鶴和子が天使館で舞踏をしており(彼女は、後にフラメンコ・ダンサーとなり、現在はスペイン在住。数年前にギタリストの息子を連れて来日公演していた)、私も自身のゲバルト舞踏論から身体表現としての舞踏に最も関心があった。ちなみに、多分、戦後の商業誌では最初になるが、私が『現代の眼』に書いたユンガー論もまた、ユンガーの戦闘を舞踏として捉えようとするものだった。
●フランスの幻想作家にして幻想文学研究者であり、またワーグナー論者としても知られる人物にマルセル・シュネデールがいる。シュネデール(Schneider)から分かるように文化的にはドイツ系のアルザス人だが、かれもまたユンガー・ファンであり、フランスには至る所にユンガー・ファンがいる。
●ウンベルト・エーコが84歳で死去。102歳で死んだユンガーと比べると、まだ若いといえなくもない。ユンガーは82歳の時にゲーテ賞に選ばれ、同賞始まって以来の反対運動(非転向ファシストの受賞反対)が起き、機動隊が出動する騒ぎとなり、82歳でもユンガーの「危険性」は健在だったからだ。
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