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2016年02月17日10:02

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A.I.的なフレームワークの雑感



ポイントはここ。
1:24〜1:36 「ニューラルネットワークの中間層を大量に増やすことで機械学習の能力を格段に向上させる」
2:02〜2:04「人間が決めた以上にうまくなれなかった」

機械学習で人工知能にディープラーニングさせる技術ってのは、そのまま人間の知性の整理に役立つ。

インプットした情報からアウトプットする結論にいたる中間層を増やすこと。
これは可能性の網羅という知性の幅を指すのだ。

たとえば「猫」を見たとき、すでに定義された「猫」という意識でいる限り、猫は「猫」のままなのだ。
人 間が決めて思い込んだ以上には認識できないのだ。
これを、四足、牙、身軽、木に登る、小動物、夜行性、かわいい、炬燵が好き、ニャーとなくなどの情報量をふやし再構築していくことで、「猫」という生き物を再構築できるのだ。
こうすれば、ゲロゲロとなく猫がいても「猫ではないことを否定できない(猫である確率が最も高い)」という判断から正解にたどり着く可能性が上がっていく。
知恵が生まれるのだ。

日本人は優等生である。決められた定義を正しく行うことが得意なという意味で。
逆に言えば、この新しく定義しなおすということにおいては能力はとても低い。
なので、ディープラーニングのプロセス定義を正しくなぞることで、新しく定義しなおす技術を優等生的に学び、欧米人の発想や創造性を超えることができるはずだと思うのですよ。
彼らの発想は、いわば機転の延長なわけで、それを超えるロジカルな定義が量産できれば、起点に負けるはずはないのだ。

さて、ここまでが長めの枕なわけで、本題はとても短い。

インプットとアウトプットの間にある中間層をどう設計するべきかが「頭の良さ」に直結するわけで、いまの機械学習では重回帰に似た統計ロジックを利用している。無限の記憶容量があれば無限の演算ができる。まだそのレベルの頭のよさなのだ。
この部分に「閃き」的なイノベーションを設計できれば、人工知能は明日にでも人類を超える可能性があると思うのだ。
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